2012年08月

2012年08月31日 00:00

【第20回 いじめ・虐待防止フォーラム】
2012年(平成24年)7月5日(木) 新宿区大久保地域センターで[第20回いじめ虐待防止フォーラム]が開催された。 今回は、第1回から参加されている(独立行政法人)国立国際医療研究センター国府台病院第一内科医長である三島修一医師の講演。 表題は《出会いに学ぶ生き方~傾聴を妨げるもの・傾聴がもたらすもの~》(以下敬称略)
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【この講義の願い】
私の勤務する国府台病院は、千葉県市川市にあり精神神経科医療が専門で、新宿区の国立国際医療研究センターと五年程前に合併し、相互間交流活動が盛んに行われている病院。 私はこの国府台病院に勤務して20年になるが、これまで患者から教わり培ってきた20年間分の医療エキスを、感謝と共にお話させて頂き、皆様にも是非活かして貰いたいと思っている。
現在私の担当部署は内科と心療内科の混合病棟で、主に糖尿病患者の診察治療にあたっている。 当院の入院患者は心療内科系も含む為、医療者側に対して不平不満の声を直接ぶつける事が日常茶飯事。 スタッフを含め現場一年目の白衣の天使に対しても「あんたなんかに、診て貰いたくない!アンタに私のことは解らない!!どうしてそんな事言うの!?そうじゃなくてこうするの!アンタそれでもプロ!?・・・」など、生きる現場はぐさっ!と突き刺す言葉や切り捨てる言葉、圧迫する言葉に息が詰まってしまう言葉、やられたらやり返したくなったり、逃げたくなる言葉が行き交うエネルギーの場である。特に新卒で配属された新人看護師の戸惑いは顕著で、慣れるまでの対応は時間を要する。 それまでの学生生活では一般的に“言葉の交流”で事足りるが、社会に出るとあらゆる世界でこの“人の気のエネルギー”がぶつかり合うのが現実だ。
医療の教科書(How to物)も多数浸透し目は通すが、日々医療現場で過ごす日常において、単に患者から話しを聴くだけでも、一気呵成にまくしたてられると受け取る側も戸惑いパニックになってしまう。常日頃から自分の感情を上手くコントロールする術を身につけておかなければ、患者からの生の声を受け入れられることは到底出来ない。 私の体験をもとに、現場で苦労されている皆様お一人おひとりが、“問題”はこのようにして乗り越えていけばよいのだ!明日からこのように取組めばいいんだ!悩んでいるのは自分だけではなかったんだ!もう一度自分と世界を信じて歩み始めたい!と元気になって頂けるように切に念じて願う。

【“違いが解る珈琲ブレンド”】
―――この意味は、かつてある珈琲メーカーの製作したTVコマーシャルのキャッチコピーで、自社製品の珈琲は他社のものと比較して良い珈琲である!と謳った主旨のもの。 例えば紅茶と珈琲は異質の種類なので、単に嗜好の問題だけで比較対象にはないが、同じ種類の珈琲であるからこそ違いが解るということ。 
この“違いが解る珈琲ブレンド”の例えをふまえて―――医療現場において看護師にきくと、心療内科病棟の入院患者よりも精神科病棟の入院患者の方が対応は楽だという。これは、精神科患者はある意味、日常生活からかけ離れた世界に存在している感があるので、それ程ストレスに感じることが少ない反面、心療内科の患者は事細かいところに気がついてこちらの意見に対しても、突っ込んでくるケースが多々見受けられるからである。例えばこちらが1言ったら100位が返ってくるといった様なことで、看護する側にとっては非常に厳しい面もあるのは事実だが、逆に学ぶものも多い。この生きる現場において人間関係によるストレス(感情の違い)は、同じ時空間を共に生きているからこそ「絆の証明」であり、死ぬまで付きまとうもので逃れられない。 「厳しい反面学ぶものが多い」この事を前向きに理解し活かす!この一点を見極めることは、我々人間にとって必要不可欠な生きる智慧である。

【人を突き動かすのは理性か感情か】
 「言葉(理性と思考)はハンドルのようなもので、想い(感覚と感情)はエンジン」・・・よって結論は感情である。 だが私たちは自分の内面(感情)を観る教育を受けてきていない。
どんな教授であってもそうであったように、これまでの教育の基本は言葉重視で、知識の押しつけを上から目線でただ詰め込まれるだけのもの。 今の時代の先入観は、通常言葉が最優先されて理解の早いことが良い事で、その人の背景にある想いや願いは軽視か無視、言う人の方が上で聞く人の方は下という風潮だ。 司会をする時に感じるが、会の中でワァーワァー言う人は言うだけいわせておいて、物静かに聞き耳を立てている人に意見を求めると、良いアイデアが出てくる事が多い。 学び舎に至っては、じっくりと生徒児童の意見を聴くといった先生が少ないのは、残念ながら誠に悲しい事実だ。―――それはなぜおこるのかというと、誰もが言葉重視である為、自分の内面にある(怒り・悲しみ・苦しみ・嬉しさ・喜び)喜怒哀楽の感情を言葉でつかみ、自分のありのままを表現する教育を受けてきていないからである。 これは過去の後悔体験だが、病院で私宛にある患者から電話がかかって来た時、ほんの一瞬「うっ!(私の嫌悪感)」という雰囲気が電話の相手に伝わってしまい、話はしたのだがその後二度と電話がかかってくる事はなく、大変申し訳ないことをしてしまった(ゴメンなさい!)・・・。 世の中で人と人とが出会った時に、まず伝わるのは感情だ。 言葉には、言葉以前の想いがへばりついており、言葉以上にその想いが相手に伝わっている事を忘れてはならない。

【言葉にも温度がある】
 病院で、熱心さゆえに陥りがちになる看護師のケースがある。
―――朝から体調不良(頭痛)だった入院中のある患者が、病室に幾度となく入る看護師に対して、その事を夕方まで打ち明けられずようやく話せた時『(眉間にしわ)どうしてそんなに大事なことを話してくれなかったの!』と看護師は詰め寄った・・・実は、だから言えなかったのである。 患者(人)は、何か言ったらワァーワァーと迫ってくる看護師に対しては何も言えないのだ。 医療現場であなた(患者)の為に、一生懸命しているという自分自身の意識化はできるのだが、それを“壊す意識”と自分の発している“言葉に温度”がある事を認識するのはなかなか難しく、忙しさゆえに患者や家族に物を云わせない雰囲気を、自分自身が発していることにも気付かないでいる。
―――私の妹の子どもが脳腫瘍で病院へ入院した時の出来事。
妹は、我が子が寝入る病床の傍らに座り、病室へ度々入ってくる看護師に対して質問したいのだが、目の前で気忙しく振る舞う姿をみて、ついつい聞きそびれていた。その光景を見ていて感じた事は「患者家族は物が言いにくいのではなく、物が言えない状況にあるのだ!」と実感した。 これは自分にとっても大きな出来事で、それから私が診察する医療現場では、患者側(家族を含め)にいる人は『物が言えないのだ』という認識を心に刻み出会うようになった。

【感情が持つ決定的影響力】
自分が病気や怪我に見舞われた時、目の前に現れた人が自分の事を「かわいそう」と憐れんでみているのか、あるいは一人の人間としての存在価値を認めて大切に思っているのかは、何も言わなくても感じるものである。いわゆる「弱者」の立場であればある程、目の前の方が“どのように自分をみているか”否という程よく判ってしまうものだ。 同情は“上から下への眼差し”であり、その差別意識に反応する「常識的なアドバイス」も同様に反応を引き起こす事がある。
―――過去の医療現場出会いの中で、私自身大変ショックを受けた事があった。
 私の友人が自宅火災に遭遇し家族は既に避難していたが、果敢にも彼は火中救出にあたり、気道熱傷で肺の中が水膨れ状態になる瀕死の重傷を負った。その後ICU治療で回復した病室の彼から聴いた話。
彼が病床で伏せている時、病室に入ってくる看護師は人により彼自身の肌で感じる温度が、人それぞれ明らかに違っていたという。 ある人は「冷たいその手で触らないでくれ!」と思うほど冷たさを感じる人だったり、「肺に何か突き刺さるような」痛さを感じる人がいたり、ある人は「温かさを醸し出す人」であったと・・・。この彼の表現は、人が生死を彷徨う程の極限状態に立たされた時、人間は生命の五感が非常に研ぎ澄まされるといわれる実例である。これは、感情の持つ決定的影響力であり、人間は心(内界)と現実(外界)とがつながっている事(one unit)を如実に現している。

【自分に訪れる感情の原因】
野外でバーベキューを行う際に、よく使用される「ガスバーナーを自分自身」だと例ええた時。
ガスバーナー(自分)は「マッチの火が来たから、火がついた!」と思う。
周囲から見た時 「あなたがガスを出しているから、火がついた!」と感じる。
ガスバーナーの思う火がついた!原因は外にある相手(マッチの火)で、自分の感情はその結果(被害者)との見方だ。 実は感情の原因は「私の内にあるもの」で相手(出来事)はきっかけにしかすぎないのである。 その証拠に火を近づけても、ガスの出ていない人に火はつかない。―――自分自身の感情をコントロールすることはやはり難しく、冷静な取り組みが必要と判ってはいても、一旦湧き上がってきた感情を止める事は一般的には困難である。通常は「我慢してしまう」か「爆発する」ことがほとんどで「落ち込む」場合は“どつぼ”にはまってしまい身動きできなくなる。 医療現場でも“傾聴”の大切さはわかっちゃいるけど、どうにも聴けなくなるのが現実だ。
―――つい最近家族で旅行に出かける時の話しだ
私の家族四人で乗る列車チケットを、購入しようと駅の窓口に並んでいた時、前の人が最初から自分の購入条件を正確に伝えず、係員も手間取り二回もチケットを発行し、後続の我々を待たせていた。 私は内心「最初から購入条件を全部言えよ!!なんでアンタ一人で三人分の時間がかかるんだよ!!!」と苛立っていたが、ふと「私は何の為にここで並んで待っているのだろうか・・・」と考えたら「家族四人で座れるボックス席チケットが購入出来ればいいのだ」と、その事に集中しだしたら自然と呼吸が落ち着き、イライラすることもなくなり自分の順番がくるのを冷静に待て、チケット購入も無事に済んだ。
《この体験が教えるもの》は、「自分の呼吸」を整えることの大切さに、もともとの自分の願いに立ち還ることの大切さだった。自分の中に芽生えた「怒りの感情」は、持っていても相手(外界)は変えられず、逆に自ら生み出した「怒りの毒」で苦しんでいるのは自分自身なので「私変わります!」を心掛けてみる。 私たちの内に生じる陰性感情を否定的に考えず、また未熟な自分として押し隠す必要もなく、怒りに内在している「もともとの自分の願い」を引き出すことに集中すればよいのである。 だからこそまずは「出会いに学んでいこう!」という姿勢が大切。

【傾聴がもたらすもの】~忘れられない心療体験から~
 Wさん:難治性気管支喘息(心身症)
―――約20年前のこと、Wさんは非常に被害者意識の強い患者で、都内の各病院でトラブルを起こし転々とされ、最後の砦として国府台病院心療内科へ入院された。 その時彼女に対する面談診療時間が毎回3時間にも及んだのは、当時の国府台病院に心療内科が出来始めの時で、患者は彼女一人だけだった為である。 おまけに私も九州の病院から出て来たばかりで、野武士的気概で診察にあたり一日3時間診察を三か月間、Wさんと続けた葛藤の診察はまさに貴重な体験だった。―――被害者意識の非常に強いこの患者の気持ちを「こんな考え方もあるよ!」と私の方向へ引っ張ったら、逆に喘息発作を余計にこじらせてしまった。 この結果、院内カンファレンス(院内医療者会議)において、この患者に対する主治医以外の意見が出され、当時の院長である吾郷晋浩医師から『三島君はまだこの患者の話をよく聴いていないね!この患者は聴けば聴く程必ず良くなる方だよ!!』と優しくも端的に言われた言葉に、素直に反省し従ってみた。これまでの診療に費やした“傾聴”内容を自分なりに振り返り、至らなかった点はWさんへ率直に誤り、改めて彼女の話を聴き始めたら、これまでの主治医である私の不適切な対応について事細かに語り『なぜあの時私の言うことを判ってくれなかったの!』と言われたが「私も自分の気持ち(治って欲しいというただ一点の願い)を強調」したその後、みるみる病状が改善されていき、当初3時間だった診察面談も徐々に短くなり、1ケ月経過したら僅か30分で終了するまでになった。 「いったいこれまでの三か月間の診察面談はなんだったのだろう・・・」と私は自分を振り返ざるを得なかった。 このWさんとの診察面談がきっかけで、これまでしてきた私の面談は、私(医療者)が上で患者が下という目線の大前提があり、「聴いてあげる」という癒されない診察面談であったことに気がついた。 Wさんはまさに“傾聴”に関する私の師匠であり“傾聴”の決定的ポイントを教えて頂いた方となった。  今では外来廊下で遠くにいても、人目をはばからずお互い手を振り合う仲だ。 高慢になり易い私の目線をもっと低く置くように心掛けると、診察面談する私の側も疲れにくくなる。  現在“傾聴後”に疲労感の残る方はまだ「聴いていない」と思われる。 “傾聴”は聴けば聴くほど元気を頂くものである。
心療内科医も、その道のプロであることに違いはないが、まず医療者である前に一人の「人としての目線」を低く保つ事を心掛けると、患者から多くの事を学ばせて頂けるというよい例であった。

Sさん:1型糖尿病・摂食障害
 本人中学2年時に、1型糖尿病を発症し退院直後から過食症状が出現。
高校2年時に当科初診。当初からインスリン4回打ちの患者で、一般的な糖尿病患者のレベルではない状態。
身長154㎝ 体重54㎏ HbAlC10.5%
家族構成:父親警察官 母親パート勤務 2歳上の兄(4人家族)
生育歴:幼少期負けず嫌い 小学校低学年で毎日習い事 学業の良い従姉と比較され育
つ。
心理テスト:CMI IV領域  SDS 53点 エコグラム CP・AC優位
最初の訴え:「家にいたくない」「高い所から突き落とされている感じ、真っ暗で何も聞こえない」
私の質問『自分の病気に対して、ご両親はどのように思っているのだろうか!?』
本人の答『(母親に対し)病気はあなただけじゃない!もっと苦しんでいる人がいるから
     早く治しなさい!』
同   『(父親に対し)ただ一言“治せ!”治せないヤツは人じゃない』
これは両親が彼女に対して言った言葉ではなく、本人自身が感じて思っているだけの両親感であった。Sさんが高校2年の時からの診察にあたり、かなり長期間診察経緯があったが、途中私自身も「私変わります!」という半ば自己暗示を繰り返しながら、御家族や父親の良い方向への治療参加が功を奏し、不登校だった高校生活も何とか卒業の運びとなった。
【Sさんへのアプローチ表記】を分類化すると
Ⅰ.“怒り”傾聴期 ラポール形成期
Ⅱ.混乱・軽度改善期
Ⅲ.徹底同伴期(医療者の意識変化)

(Ⅰ.“怒り”傾聴期 ラポール形成期)
私がSさんへ面談アプローチをした具体的内容だが、まず面談する前にSさんが「こうなったらいいな!」という私の願いを脳裏に想い描き、1つの目標を作り会っていた。これは私自身がSさん本来の姿・表情を心に念じる時間を、事前に5~10分間かけて行ったことが非常に大きな効果を発揮したと思う。 診察面談初期のSさんは、『家にいたくない!自分も世界もブッ潰れればいい!!』―――食事のこと・友人のこと・事ある毎に怒りの嵐だった。 診察面談初期においても問答無用に必要な“傾聴”は、患者自身が抱えている内界(心の中)の怒りエネルギーを、まず排出(引き出させる)させることが必ず重要なことであり、それに要する時間は患者それぞれ違う。この頃患者家族(この時は母親)の戸惑いを援助することも忘れてはならない。

(Ⅱ.混乱・軽度改善期)
 Sさんもそうであったように、患者から排出される話の内容は繰り返しの中身が続く。話に登場する人の名前は内容毎に変わり、起承転結に基づくが単に同じストーリーで流れていくので、Sさんの話を遮らない程度のところで『その話は同じ繰り返しだね、共通した登場人物は誰だろうね!?』と優しく問いかけると、Sさんはそれが自分自身だったことに気付き、新たな自己発見に導くことが出来た例である。―――この頃になると父親との面談が増加し、かつて指示的だった娘との関わりが、娘の気持ちを聴く姿勢に変化していき、過食頻度の減少に不登校の改善で、無事高校も卒業の運びとなった。 この例のように患者家族の戸惑いからの改善変化と、患者自身の自己内界(自分の心の中)が判ると、治療進行は加速するのである。

(Ⅲ.徹底同伴期 最初の状況)
その後Sさんはアルバイトとしてフリーター生活をするようになったが、アルバイト先店長との人間関係がこじれ仕事先を変わることが続いた。 外来診察でのSさんは、勤務先上司に対する不平不満と怒りを表し「私に完璧を求める他人が悪い!」と詰め寄ってきた。 その後、再び衝動的過食状態に陥り、家族にも動揺混乱を招いてしまう。 この頃SさんのHbAlCは11%以上の値だった。
今年Sさんは、看護の国家資格を取得し今は医療現場で活躍されている。 彼女の背負ってきた1型糖尿病という難病を抱えたままの看護現場だが、Sさんの存在そのものが、人生と仕事が“活きた看護”へとつながっている。 表情も劇的に変わり明るくなり、時には怒りも出るが長くは続かず、これまでの治療体験で学んだ自らの未熟さに気付くと、その実感が相手にも伝わり悪循環にはならない。 現在 HbAlCは7%を推移している。

Oさん:37歳女性(発達は異常なし)
幼少時:実父から性的虐待 両親不和 本人小学6年時離婚
13歳 :1型糖尿病の診断でインスリン開始
15歳 :いじめから 引きこもりになる
16歳 :血糖憎悪 入退院を繰り返す 
“ぐれながら”も高校卒業
その後通信教育で衛生資格を取得
21歳 :結婚
23歳 :男児出産 その後離婚
    実家での生活 新しい父の暴言
25歳 :血糖コントロール不良のため 大学病院内科に入院
    精神的に不安定のため 精神科併診
28歳 :東京へ引っ越しのため 当院紹介受診
    身長 158㎝  体重 55~63㎏
    血圧 119-61 Torr
    網膜圧 眼底 A-O
    腎症 尿タンパク 陰性
       血清クレアチニン 0.58mg/dl
    ECG 異常なし
精神科初診時落ち着いていたが 保険証の件をきっかけに興奮
   『おめーら ふざけんな。身障者扱いされる気持ちが判るか!』と
    物に当たる。その後 当院精神科にリストカット・過量服薬にて
入院を繰り返す 内科併診。
当初私は、いわゆる境界型パーソナリティ障害者に対して「何をしでかすか判らない」という不安・恐怖があり、患者との関わりは血糖コントロール・インスリンの相談という距離レベルだった。 この患者Oさんとの診察経過中、カルテには記載のなかった幼少期、実父から性的虐待を受けていた事を、直接本人からお聴きした頃から、患者の激怒する感情の噴出背景が実感的に理解出来るようになった。 「そんな辛い体験があったんだ・・・」怒りの感情の底には、私の想像を遥かに超える恐怖感・不安感があった。 その後は「治療的人間関係」が強化され、その結果 血糖コントロールが改善されていった。

Sさん: 43歳女性
同胞 弟 自分の目の前で 列車に はねられ他界
小学4年時 従兄から性的虐待
15歳 :トルエン吸入
16歳 :~28歳まで覚醒剤
    24歳・28歳服役   その後乱用無し
20歳 :1回目の結婚
      1年目の結婚記念日に夫 事故死
38歳 :~39歳「うつ」にて他院入院の既往(過ぎ去った時 過去の事柄)
2003年 :糖尿病予備軍といわれる
2007年 :近医受診 SU剤処方
2008年 :9月当科初診
      血糖 546㎎/dl  尿ケトン(-)
      HbAlC 10.7%
      2型糖尿病 高血圧症 高脂血症 肥満(BMI 37)
同    :インスリン自己注射習熟目的入院 病棟での人間関係こじれ
      退院―――強い不眠の訴え 悪夢 過食
      電車に乗ると緊張・発汗著明
      精神科 “依存型パーソナリティ障害の診断
      外来にて“土日は主治医がいないので不安”
          “お金がないから 食べられない”
          “外来で待つのは辛いから 1番で診て欲しい”
          “もう死ぬしかない 先生お世話になりました”
                     などの電話が頻繁に入る
      身体的には 空腹感を増すSU剤は中止し 高血糖毒性解除
      の為に 持効型インスリンを使用し BG剤 糖吸収阻害剤
      を使用

私が患者Sさんとの診察面談でどのように対処したかというと、リストカットや過量服薬した時、まず相手の立場に立つことを心掛けた。抑圧的に『なんでそんな事するの!?』と強調し、単に「止めなさい!」と常識的な事を言ったところで、相手は拒絶反応しか示さない。この時、とことん相手の立場に立ち身を委ね『本当はそんな辛いことしたくないのにね・・・辛いのはあなた自身なのに、やってしまうんだよね・・・つらいよね・・・でもそれやめよう!』と言うのとでは、明らかに相手の受け止め方が違ってくる。 これだけのことで治療進行速度が増し、改善されていった事例結果だ。 このSさんも各病院を転々とされていた患者の一人だった。 かつて、精神科で服薬治療しても「境界型人格障害」と診断された患者は、薬が全く効かないので医師も診ようとしない。 いわゆる隙間の患者で、本来1番サポートが必要な方である。
―――私の専門ではないが、「境界型パーソナリティ障害」と診断されて共に診てきた患者は、幼少期にこのような被虐体験や喪失体験を100%の方が持っている。このような方はsignificant others(大切な友人)を持つ必要性がある。 過去に経験された不安・恐怖感を、私たちは自分の心に映す、医療側の安らぎを持った心と集中力が必要。
●その一助にオススメの本
{人の話を「聴く」技術} (財)メンタルケア協会(編著) 宝島社刊があるので一読されたし!。

【“傾聴”を妨げるもの】
 患者との診察面談をしていくなかで、私は人の話を本気になって“聴いているのか!”と自分自身に問いかけて、割り出した答えが以下の内容です。そこには2つの要因があり
「思い込み」
  この思い込みの中には、これまでに培ってきた一般常識から発生する先入観や、自分  が持っている信条(固く信じる事柄)で壁を作ってしまっている。これらは、言語化(言葉として)しやすいが知らず知らずのうちに、自分の意識の中に刷り込まれているので「思い込み」が問題だと思うように、意識化されないで埋もれてしまう。さらにはこれらに「感情」が入り込み、一朝一夕にはぬぐい去ることの出来ない自分がいる。感情には喜怒哀楽多種多様な要素が、複雑に絡み合うので余計に厄介である。
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【“傾聴”を妨げる時代の空気】
○病院(外来診察室)
    患者が一方的に喋り続けている。
医師  「無言・・・(体の向きは患者に相対しているが、足は小刻みに揺れて)」
    ナースが患者の後ろで 医師の様子をのぞき見ている。
医師  「・・・(この話、いつまで続くんだ!?まったく)」
患者  「先生!あの時の主治医の先生も そうだったんだけどね・・・」
医師  「・・・(エェーッ またかよ! それさっきも聞いたけど)」
患者   「いっつも同じ指摘しかしないのヨ!こうしろ!とか生意気なんだからサ!」
医師   「(まったく・・・それって相談!?報告!?ほんと疲れるな)」
     ナースが患者の後ろから、医師に向かって両手を広げる仕草(長~い話し!)。
医師   「(頷いて)・・・(相談ならこっちの言うこと聞けよなぁ~)・・・(俺医者だぞ!
      アンタより アンタの体の病状は専門なんだ!―――この人無理かな、この話聴いても無駄だな・・・」
     外来診察時間はとうに過ぎて待合患者の姿は無く、廊下に背広姿のMRが数人ナースと話し立っている。

―――上記の診察場面は、これまでの私であった。

【私たちは限界を突き破りたい】~逆転移への取り組み~
 目の前の患者が抱える不安・恐怖・孤独の“声なき声”をかき消すものは、医療者側の「もういい加減にして!」というこちらの被害者意識や「もう私には無理!」というあきらめに「これは治らない病気」などの決めつけ。これらは全て私のなかにあったもので、最後に発見したのは「私がやれるところまではやるけど、後はあなた次第ですよ!最終的には私に関係はない」という感情でした。―――“傾聴”の限界を突き破りたいとするなら、私たちの内面に肉薄する必要があり、被害者意識・あきらめ・決めつけといった感情を止めることは非常に困難であるが、「感情への取り組み」は是が非でも必要となってくる。
 そこで「逆転移」の取り組みが大切な入口となる。 “転移・逆転移”とは精神分析用語で「三つ子の魂百まで」と言われるように、生育児に獲得した(獲得せざるを得なかった)人間関係のありようが、治療としてのカウンセリング場面で必然的に出てくるもの。
(※「なぜ専門用語を使用するか」―――医療現場での出会いに、必然的にもたらされる医療者側の感情は、医療に携わる私一個人だけの問題ではないことを強く強調したい!これは診察面談の関わりの中で、医療者側・患者側両者にとっても大切なテーマだからである)

           クライアント(患者):転移
               治療者側 :逆転移
―――例えば、厳しい父親の許で育った娘さんがカウンセリングを受けると、面談途中で医師を父親のように思う感情が生まれ、医師(父親)に対して攻撃反発の言動が発生することを“転移”。 医師側が父親側の感情に移入してしまうことを“逆転移”という。 駆け出しの心療内科医師のなかには、よくこの逆転移現象が起こり、医師と患者間に恋愛感情が芽生えてしまう。 これは医療者側の一生懸命ゆえに「この患者と特別な関係になれば、治癒してくれるのではないか!?」という錯覚で、そうなると最終的には患者を追い詰め、自殺という悲しい状況を作ってしまうのが現実である。

【パパ 僕 バカだよ!】
 この“逆転移”現象を率直に表している有名な話がある。

息子  「パパ 僕 バカだよ!」
父親  「お前はバカじゃないよ、お前はこんな事だって出来る」
息子  「でも、○○も出来なかったし、バカだよ!」
父親  「お前はバカじゃないよ」
息子  「でも僕 バカだよ!」
父親  「お前はバカじゃない!何度言ったら解るんだ!!このバカ!!!」

“逆転移”に、なぜ人は呑み込まれるのかは、熱心さゆえに“相手を変えようとする”自分自身の感情に呑み込まれるのだ。 肉親であればある程、親しい関係であれば尚更巻き込まれるのは当然で、私たちは常に「自分の内界探訪」する「必要と必然」がある。怒りが湧き上がる時、怒りを我慢すれば自分が病気になり、怒りを外に出せば跳ね返ってくるし、茶碗を割ると引け目が残り、おまけに情けない。 怒りを「芸術」で表すことが一番副作用のない出し方である。 例えば「フィンガー ペインティング」では糊と絵具を使い手に塗り込み描く方法や、テニスラケットを持ちベッドを叩くといった「バイオエナジー療法」に、粘土細工・陶芸の作陶も効果的。 現在私が取り入れている手法は「手紙を書く」ことを行っているが、他人に読んで貰うためのものではなく、自分の感情を紙に書くことによって(鉛筆を数本折ることも含め)内界の感情エネルギーを外に出すことで、最も効果的作用が治療に役立ち、患者自身の内面を自分に宛てて表現した7~8割の方は、自分自身で快復の道を歩んでいかれる。

【怒りについての考察】
●怒りには「自己中心の怒り、屈辱感に発した怒り」だけではない
 「無私」の怒り、相手を非難するためではない、自他を一如として見た
「私たち」への怒り。 畏敬と共にある 畏敬ゆえの怒り。「純粋な怒り」がある。
                  「新・祈りのみち」高橋佳子著 三宝出版
                     怒りが湧き上がるとき(P36)から抜粋
●例えばAさんが私に悪口を言った時
  ○「屈辱感」でAさんに怒る
  ○もし、Aさんに全く愛情を持っていなかったら・・・
●私が「フン」で済まずに、怒っているということは
   「Aさん、本当のAさんは悪口を言うような人じゃない!」
  相手に対する 真心としての怒り「純粋な怒り」を 自分の内に育んでいく
   自らを見失った 自己中心の すべての怒りから、身を遠ざけさせて下さい
      私には「怒り」より大切なものがあります。
もし この怒りが真心からのものなら その「熱」と「力」を
     真実なものに つなげさせて下さい
           怒りに立ち向かう
           強い勇気を下さい
           怒りの「熱」と「力」を
           忍ぶ力に
           待つ力に
           愛する力に
           変えることができますように。
                      「新 祈りのみち」P41~42より抜粋

●マルクス・アウレリウス 「自省録」から
     第4巻 18
           隣人が何を言い 何を行い 何を考えて
いるかを覗き見ず 自分自身のなすことのみ
に注目し それが正しく敬虔であるように慮
る者は なんと多くの余暇を得ることであろ
う。(他人の腹黒さに眼を注ぐのは善き人に
ふさわしいことではない。)
目標に向かって まっしぐらに走り 脇見するな。
岩波文庫 神谷美江子訳より抜粋

【ペットボトルに沈む“お茶の葉”のたとえ】
 “お茶の葉”が沈むペットボトルを自分自身だと仮定する。
―――そこに外から衝撃が加わり、それまで綺麗だったボトルは、お茶の葉で濁った。
自分は、衝撃を与えた「あなた」が私の心を濁したと、怒りの感情が湧き上がる。 しかし、はたから見るともともとお茶の葉があったから濁った・・・お茶の葉が浮き上がった時こそ、このお茶の葉を掴み取り出す(怒りの浄化)絶好のチャンスで、それを繰り返していくと同じ衝撃でも濁らなくなる。
―――「“お茶の葉”が舞い上がったらチャンス!と思いなおすことができるか!?」
『主治医が辛い時は、患者も辛いんだよ・・・』この一言は、国府台病院 心療内科部長の石川俊男医師に、助言頂いた重い一言だった。
患者こそ苦しんでいるのに、自分の辛さしか考えていなかった・・・辛い時にこそ「自分自身に原点回帰(本来の自分の願い)」促すパンチを課そう!。

【虐待の連鎖】
 医療現場の日常で日々感じることは、言語化できていない感情にほとんどの人が振り回されてしまっていることだ。 子どもが受けている虐待問題で、児童相談所の対応の仕方は、正義の味方を装い子どもだけを護り、虐待をしている親に対しては、完全に悪者扱いした状態で当初から接していることを、大変な問題だという認識がない。これまで私が診てきた患者は、想像以上に親の方が傷ついた状態になっており、犯罪になる前に親のサポート・草の根の傾聴運動・トータルのケアが必要である。 今回話している“傾聴”の内容は単に医療現場だけではなく、一般社会にいる皆さんが“傾聴実践者”になって頂きたい強い願いがある。―――東日本大震災被災地へ心療内科チームが、心のケア目的で現地に足を踏み入れたところで、「現地の方々が尋ねて診察に来るだろう」その程度の感覚で思っていても、わざわざ足を運んでくれる訳がない。 医療に携わる私が言うのは、トゲのある言葉になるが「日本の精神医療を精神科・心療内科に任せていてはダメ!です」それを克服するには、我々一人一人が病んでいる方の身近で、寄り添う気持ちをまず持って、本当に聴ける能力を身につけた方が遥かに進歩する。 この場で話す内容が、ここに来場されていない何百・何千・何万人の方々へ届いて欲しいという、切なる想いを判って頂きたい。
―――虐待を受けて育った親は、自分の子どもにも虐待をしてしまう。甘えを受け入れてもらえなかった方は、甘えてくる自分の子どもに対して「私が甘えられなかったのに、なぜあなたが甘えてくるの!!いい加減にして!!!」と 自分自身の感情に振り回されてしまう。 

ここで会場にいる岡田へ質問が飛ぶ
三島  「この虐待の連鎖について、岡田さんはどのように思われるか!?」
岡田  「虐待を受けて育った子どもは“親に甘える”ということを、親から学んでいないのでどうしてよいか判らない。 虐待体験のある人は、日常的に親から拒絶された教育を受けて育っているので、一般の人からみるとその拒絶反応が尋常ではなく、どうしてそこまで拒む対応をするのかが理解できない。よって対人関係において“人との触れ合い”の加減が、一般家庭で育った人と比較して大きく違っていることに気付いてほしい」 

―――「逆転移」感情に取り組むための準備として
 善し悪し(道徳的感覚)から一度離れる
 何でも語れる仲間を大切にすること(守秘義務はある)
 穏やかな「呼吸」に親しむ 自然に親しむ
 私のもとに来られる心療内科患者は、常に呼吸が息詰まった状態で身をかがめている。その度話すのは「自分のために、自分らしい穏やかな呼吸をすることは、“基本的人権”なんだよ」と繰り返し声をかけていると、この言葉がキーワードとなり、自然な自分でいられるように改善されていった。
―――この「自分のための自分らしい呼吸」を取り戻すために必要なものは、つぶやき・思い込み・信条の点検が重要ではあるが、それら認知の仕方を変えることは容易ではない。 「認知行動療法」というものがあるが、人間は自分の身に起こる事柄の意味を知る“認知”というものを理解しようとしても、感情があるためにこの感情部分が浄化(解きほぐれないと)されないと変化は起きてこない。 「呼吸を整えること」と「感情を浄化すること」を同時にする智慧は「祈り」である。
―――この「祈り」ということについては、多様な先入観が持たれていると思うので、もう一度よく考えてみることにする。 その例として宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ・・・」の詩を上げる。 当初、彼がこの詩を世に出した時代は、農民讃歌を謳ったにも拘らず「質屋の息子のぼんぼん」という家柄を批判されていた。しかし彼の想い・願いは「なんとか人を助けたい!」という純粋な心があり、宮沢賢治は「・・・そういうものに わたしはなりたい」と切望していたのだ。
―――「祈り」というのは目を瞑る事ではなく、現実社会を生きる厳しさ・その時遭遇する自分の愚かさに目を開きつつ、天に托身(たくしん:三位一体である神に子が人間として生まれたこと)するしかない。未熟な人間である私たちが、不条理・不合理なこの世を“最も人間的に生きる為に必要なプロセスであり、常にどのように考え念じているかで結果が違ってくる。 この「祈り」というものは、3.11東日本大震災後、ようやく医療界でも使われ始めるようになった。 宗教という意味ではなく純粋な想いで願いを念ずる心「祈り」の復権が今こそ必要である。

【九州のN病院での体験】
 私がかつて勤務していた病院に、被害者意識の非常に強い攻撃的なナースがいて、私の依頼したことも「自分の担当ではない!」と激しく拒否されていた。 それから私は、朝病院へ向かう頃になると、動悸が出ている自分に気がついた。このナースに会う度に恐怖に近いものを感じていたが、ふと自分を振り返ってみると、私はこのナースに対して彼女を殴りたいほどの感情があることに気がついた。この時の状況を分析すると「怒り」は自分自身に引け目を生むことが判った。 藁にもすがる思いで苦しい時の神頼みというか、「自分自身とそのナースに対して安らぎが訪れるように」と心に念じたら、二週間程すると徐々に動悸が改善され、そのナースに対して普通に挨拶出来るようになったが、その後このナースから挨拶されることは二度となかった。
―――「祈り」とは空虚なものではなくエネルギーを発生させるもので、目の前の方の本来の姿・表情を「想う・念じる・ありありとイメージ」すると、患者との診察面談でも劇的に変換する力になったと確信する。 
では、自らの願いの発見に向かうにはどうすればよいのか・・・
 出会いに生じる様々な感情を正直に意識化すること
 その感情を「本来化する(本心に還る)」必要
―――前項で述べたように、私たちは自分自身の感情をすべて意識化してはいないから、まず、自分自身の内面を“止めて観る”必要がある。 この“止めて観る”ことが判るまでは「落ち込んでいるようで怒っていたし、怒っているようで実は淋しかった自分に気がついた」 何か出来事が起こった時、自分自身の内面に意識を向けることで習慣が付き「私変わります」の第一歩となる。 具体的には、高橋佳子著「あなたが生まれてきた理由」という本の中にある“止観シート”というもので、出来事が起こった瞬間の、心の動きを観る手法が描かれてある。 
―――この止観シートを簡略説明すると、例えば夫婦仲の悪い者同士がいたと仮定する。
○家の玄関ドア(夫の帰宅)
ドアの鍵を開ける「カチャッ」という音が鳴る。
○リビング(妻がソファーに座っている)
※ドアの開く音を聞いた瞬間、彼女の心境(内面)は!?・・・。
玄関ドアが開いた瞬間、彼女の内面に映る「出来事・感じ・受けとめ・考え・行為」が瞬時に「ウッ!」という嫌悪感がうまれるのか、平穏な心なのかが観えてくるこの一連の、心の流れを掴ませてくれるのが“止観シート”である。 

これには「怒りの感情」が透明感に変わるように導いてくれるもので、「怒り・不満・責め・許せない・疑い・嫌悪・被害者意識・イライラ・失望・落胆・絶望」といったあらゆる負の感情を改善させてくれる具体例があり、この止観シートを繰り返していくと、同時進行で日々医療者と患者とが深まっていく体験を感じられ、全ての出会いに感謝出来るようになる。

【私変わります!によって、現実が変わった最初の体験】
 心療内科が国府台病院に出来た頃、ナースも患者も心療内科自体を知らないので、ナースは心療内科患者を単に我儘な患者にしか見ていなかった。 患者がまくしたてるようにナースへ当たり散らし、その次にはナースが主治医に対して、輪をかけて言ってくるといった日常が繰り返されていた。この頃の私の心境といったら『どうして俺だけこんな目に遭わなければいけないんだ!』という被害者意識の真っ只中だった。
 この体験を通して、自分のなかにある「被害者意識がテーマ」であることを確信する。 それからの一カ月間は、この“止観シート”を繰り返した結果、主治医に対して攻撃的に責め立ててくるナースの表情を初めて理解できた。 これは私の中にある「被害者意識の感情」が、目の前にいるナースに投影していることに気付き、一瞬感情が止まる事を経験した。 そうなると、そのナースに対しても素直になり「申し訳ないことをしたな!」と思え、その後は彼女に対し「ゴメンなさい!ありがとう!」という言葉を素直に言える自分になった。 それまでは“針のむしろ”のような病棟と感じていたものが、温かさを感じられるほどの病院に変わった。―――これは「自分が変わるということは、こういうことだったのか!」と痛感した出来事である。

【男尊女卑の先入観からの脱出】
 私は九州生まれなので、男尊女卑といった風土の中で育ち「妻はこうあるべき!」という固定観念のうちに結婚生活を送ってきた。 「妻は夫の言うことを聞くべき!妻は家の事はしっかりとやるべき!」という観点から言うと、私の家内は悪妻である。
―――ある時、いろいろな事が重なり大喧嘩になってしまった・・・。
仕事上では、「内界にある自分を見つめなさい!」と言っている手前、家庭での「男尊女卑の固定観念」を取り除いて、妻と接しなければいけないと頭では判っているのだが、「ゴメンなさい!」と一言いえない自分が二カ月いた。 そんなある日長女から電話が入り「パパ早く帰って来て!お家が暗いの」と言う声に、私は気が動転したまま帰宅を焦った。 私はてっきり妻が下の娘を連れて実家へ帰ってしまった!と思った瞬間「妻はこうあるべき!」と考えていたものはどこかへ消えてしまい、本当に大切なものに軸足を置いた時、それまでの自分を不自由にしていた「男尊女卑の固定観念」の先入観から脱却できた。 この時なぜだか私の感情は突き抜けた心持ちとなり、解放感に満ち溢れた自分がいた。 実はその時の妻は、娘二人の幼稚園謝恩会のため美容室にカットへ行き、帰りが遅くなっただけの事だったのである。
―――だがこの時こそ私にとって、「変わる自分に気付く」絶好のチャンスだったと思う。娘の手を引いて家に入る妻に向かって「謝りたいから少し時間をくれ!」と言ったが、無愛想に「忙しい!!」と一喝され、まったく取り付く島もなかった・・。 以前の私であれば「大の男がこんなにも下手に出てやっているのに、お前のその態度はなんだ<`~´>!」くらいの気持ちでいたが、その時からは「変われた自分」で冷静にみることができ素直に「わかった、次の時を待とう」と思えた。はたからみると小さな一歩にみえるかもしれないが、私にとっては大きな一歩を実感した出来事で、心の中が非常に楽になった自分が今ある。

【傾聴・共感の力を実感した出来事】
~統合失調症夫婦の誤解から始まった、ナース部長室への怒鳴り込み~
ある時統合失調症を患った入院中のAさん(妻)が,病棟廊下をナースと擦れ違った際、
ナースが声をかけた「(気さくに)あらっ!Aさん、もうすぐ退院ですね」の言葉を、どう聞き違えたのか「早く退院しろ」と受け取ってしまい、そのことを同じ統合失調症の夫に話したところ二人が激怒したままナース部長室へ怒鳴り込んできた事があった。
―――主治医である私に当然呼び出しがきたが、「統合失調症患者だし、話を聞いたところで落ち着くのだろうか・・・」と不安は抱いたが、「まずは聴こう!」と腹をくくり面談した。45分位経過した時本人の口から「昔、保護室に入れられて辛かった事」を語り始めた。この時相手の話を遮ったり、言い訳したり説明・説得しようとせずに、とことん聴き入ったことが功を奏したのか、急に声のトーンが穏やかになり、大事に至らずその後無事退院となった。

【統合失調症合併2型 糖尿病患者
    血糖コントロール著明改善症例】
     ~難治性糖尿病診療における パラダイム転換の必要性~
糖尿病診療のゴール
 :糖尿病治療の“正しいコース”に乗せ糖尿病合併症予防を・進展阻止すること
   ※食事・運動・薬物療法で血糖・血圧・脂質・体重・などの
    指標コントロールする

               症  例
57歳女性
来院目的  :高血糖に対して治療困難
既往歴   :30歳頃~独語、監視されている
       40歳頃~高血糖・高血圧指摘、放置
生活歴   :脂っこいもの好き アルコール(-)
現病歴   
 55歳   : 脳梗塞(左半身不全麻痺)
       HbAlC 15.1%  インスリン治療
       退院後 インスリン治療拒否
 57歳   :当院受診

             初 診 時 所 見
身長 160cm  体重 59kg  BMI 23.0
血圧 :174-105mghg
食後血糖:212mg/dl HbAlC 12.0%
アキレス腱反射:減少
眼底:A-Ⅱ~B-Ⅰ  尿蛋白(-)
LDC-C:101mg/dl   HDL -C:50mg/dl
TG:263mg/dl(食後)
TP:6.9mg/dl BUN:14mg/dl Cre:0.5mg/dl
Hb :13.9/dl

入 院 前 の 言 動
・話が支離滅裂
・ずっと独り言を言っている  一人笑い
・事実でないことを言い出す
     「自分にはシンイチ君という子どもがいて 
その子を私がいじめるのが 許せない」
     「世間の声」に従って 金品を見知らぬ人
      の家に持っていく」

治療(1)
「徹底した傾聴による治療的人間関係の構築」
 (一緒にやっていきましょう!ということ位しか出来ない状態だった)
・心を整えて出会う
・目の高さを同じにして話を聴く
・相手の呼吸に合わせつつの 受けとめ
・畏敬の想いを抱き続ける姿勢

治療(2)
「同居している娘さんへのアプローチ」
・娘さんの苦労の傾聴
  ~患者(母親)の変化(穏やか)の意識化
  ~母娘間の関わりの悪循環の意識化
   「娘が母に強く言うほど 母親は頑なになり 
娘の苛立ちは 増加して更に強く言う」
  ~母親への支持的関わりの提案

入 院 後 の 経 過
・入院時の表情の硬さがなくなり穏やかな表情となっていった
・インスリン自己注射の受け入れ
・食事の話を受け入れるようになった
・向精神薬の睡眠剤としての受け入れ
・娘との気持ちの交流が始まる
・独語・空笑いの減少

―――相手の呼吸に合わせるとは、患者の息遣いの呼吸回数に合わせることではない。
例えば相手が何も喋らず黙っている時、こちらもそれに対して何も話そうとしないと多少は“ギクシャク”するが、こちら側の気持ちは相手に集中し、相手の事を一心に想っている状態を保つ。そうすると語らない時間は流れるが、こちらの気持ちも安定してきて楽な状態になる。 逆に間が持ち、自分が楽だから相手も自然と話しやすくなり、これがひとつのコツとなる。
―――私はすぐに調子に乗ってしまい、奢り昂ぶり人を侮るように見下した心が出てくるので、「この傲慢さが油断大敵!」と常に思い、必ず自分自身をチェックしながら対応している。さらに患者本人だけでなく、家族へのアプローチも同様に大事になってくる。
―――昔、診察した患者の家族に対して、非常に良くないアプローチをし続けたことが、今でも悔やまれている件がある。 私がまだ心療内科医として駆け出しの頃、娘さんが心身症を患っているその母親に対して「その態度はナンダ!」という接し方をしていたばっかりに、完治させてあげることができず大変申し訳なく思っている・・・スミマセン。
―――その後の処置対応は、入院中の彼女に対して「あれダメ!これダメ!」と一度も指図したことがなかった。これは前の病院で彼女が散々言われてきた事であり私自身が熟知できていたので、あえて彼女に対して求めなかった結果、患者自身が自分の状態に気付き、自然と改善の方向へと向かっていった。 彼女に対して「前の病院と、この病院とはどう違うのか!?」と質問したところ『前は外来診察が終わった後、気持ちがイライラしていたけど、ここでは気持ちが楽な感じ!』と言っていた。 これは医療者側の対応の仕方、病院の雰囲気が患者にも良い影響を与えていると思われる。
                
結  語
●現在主流の糖尿病診療では、治療困難と思われる統合失調症合併の糖尿病患者改善例を経験した。
●「医療者と患者の絆」「患者と家族の絆」の深まりを目標とすることが、これからの糖尿病診療の重要な柱となると思われた。
●患者のライフスタイル改善と、そこから導かれる病状改善はその「絆の深まり」結果であると思われた。
      
ま と め に 向 け て
100年後の糖尿病診察風景は、いったいどのようになっているのでしょう。 
―――将来人類が行っている労働を分類してみると、肉体労働(Physical labor)はロボットが作業する割合が大半を占め、頭脳労働(brainwork)はコンピューターに取って代わられ、感情労働(emortional labor)だけを人間が行う時代になっている。 この人間にしか出来ない“感情労働”の仕事が尊ばれ、社会的にも認められている。 この時も“傾聴”はまさに人間にしか出来ないことで、“傾聴”しつつの同伴の歩みもまた、我々人間にしかできない。  3.11東日本大震災後「絆」ということが頻繁に叫ばれるようになったが、いつの時代においても「永遠に通じるものは 常に新しい!」要素をもっている。 100年後の時代から現代世界を振り返ってみて「患者の話を聴かずに、一方的に物を言う医師が威張っていたとんでもない時代があったんだって・・・」と、この言葉が囁かれる時が必ずくるはずである。 だからこそ、今苦労している私たち“感情労働者”は、その苦労を通して「智慧の蓄積」をし、50年後100年後の“君たちへ”バトンタッチしなければならない。

第2部
~岡田ユキによる講演~
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【岡田式AC判別法】
 私が成長していく上で多くの失敗を重ねた結果、“私が育った家庭環境は一般の家庭とでは違う環境だった”という事を学んだ。 私の乗り越えて来たこの壁の過程を、自分なりに判り易く表示したのが“AC判別法”というもの。 このACとは“アダルトチルドレン”の略で、―――幼少期に虐待を受けて育ち、生れたこと自体を否定されたり、人格までも否定され育った人たちのことを表す。 子どもなのに大人の対応をしなければならなかった人のことをいう。 これらは私自身が、成長していく過程において編み出したものである。

【虐待体験者からのカウンセリング】
 ACの行動は、思考、行動パターンがひとつしかないので、これひとつを理解できれば問題解決につながる。 今回三島先生の話された内容は、医師という立場で虐待体験を受けた患者から、学ばれたものを紹介して頂いた。  
―――私の場合は、自分自身が虐待を受け葛藤があり、それを乗り越えた体験を活かし、同様の体験をされた方々を救う立場にある。 自分が体験しているので、苦しんでいる患者の原因を探るには、私の体験が原因追究に即つながっており、 この“AC判別法”を使いながら、カウンセリングに来られた方々を改善の方向へ導いている。 今回でこのフォーラムは20回を迎えたが、三島先生とは5年程前からの出会いで、当初から三島先生は私たちにも“傾聴”の大切さを力説されておられた。 一般の方が接している医師と比較して、三島先生の診察面談・医療内容というものは、比較にならない程患者の話を聴いておられている。 出会い当初、私の伝え方も不十分だったこともあるが、三島先生ご自身が唯一、虐待体験自体無いので、今ほど理解して頂いてはいなかった。 日々患者との診察面談から学ばれた事が、今“傾聴の本質”を実践できているというのは、私も嬉しく三島先生に感謝したい。

【岡田式カウンセリング方法】
 苦しんでいる人の原因は、患者の話しを(カウンセリング中)聴いている間に探り出すことから始まる。 ACの場合の原因は、本人と全く無縁(無関係の人間関係)のところで、自分のせいにされてしまっているという点である。 「“自分とは関係ないのに巻き込まれているだけの人”」だということ。  一方、本人が考えている苦しみを生みだす人(原因の人)が誰なのかが判ってくるので、まずその「苦しみを作り出している根本の人から離れて下さいね!」ということでカウンセリングする。
―――次に「私って(自分・患者)どういう人なの!?(自己分析)」と、まず自分の性格を理解すること。 私の体験と悩んでいる人との体験内容は、ほぼ同じ内容なので「自分は(岡田)こういう時にはこんな取組み方をしたよ!」と体験談を交えながら助言してきた。 今までは何が起きても全て、自分のせいにされてきた考え方・自分が悪いと思い込んでしまっている人、まずそれまでの間違った思考行動パターンを治して下さい!と。
「あなたは最高に良い人であなたの周りの人が悪いだけ!」「ACは悲観するものではなく、才能ですから活かしましょう!」

【対人関係を教える具体的方法】
 例えばAタイプの人によって、苦しみの原因を生みだしている患者には「同じタイプの人は避けるようにしなさい!」と導いていく。 それまで生きてきた人間関係の中でAタイプの人に“ハメられて”(苦しめられ)しまっていることに気付かせる。 この事を理解してもらえると、自分でこのAタイプの人に対してバリアを張れるようになる。 そうなると仮にAタイプの人に無意識のうちに近づいていたとしても、 「・・・あれ!?もしかして・・・」と自分に気づけるようになる。

「岡田式AC判別法のアダルトチルドレンと呼ばれる人はどのようなタイプの人か」
―――虐待を受けた人は、2つのパターンがある。 これは自己達成率が50%の人と、達成率200%の位置にある人の事をいう。ここでいう200%の人を“AC”と呼び外見は子どもなのに内面が成長している子どものこと。 判りやすく例えると、ボクシングで活躍している「亀田兄弟」。その父親は世間的に自分の都合のよい時には、メディアに登場してきて話をするが何か問題が発生した時、責任を取らなければならないような状況時では、姿を現さずに子どもである兄が登場してきて謝罪していた。 この兄が長年父親をかばう形で息子が大人になってきたのである。彼自身(兄)が父親の仇をとるといったような言動が過去よくみられた。このようなタイプの人をAC:アダルトチルドレンという。

【“虐待問題”を逆方向の改善策に走る社会的取り組み】
―――多くの大人は(児童養護施設担当者も同様)、虐待を受けて育った子どもを助けようとするが、その子どもは逆で、自分を助けようとする人は敵にしか見えていないのである。 ACになっている子どもというのは、悲しいかな自分に虐待をしている親をなんとか助けようとしている。 このあたりが一般的には判らない部分で、日常親の助けを子どもがしているものだから、自分と親を離されてしまうと「誰が親を助けるのだ!」という、強い使命感=責任感が育っている。  表面上は子どもを助けた児童相談所の職員に対しても、子どもは一向に口を開かないし、ましてや自分の親の悪口を言うなどまったく有り得ないことである。 
―――これは幼少期から子どもに対して「私(親)を助けられるのは、あなた(子ども)しかいないんだ!と日常的に教育(暴力・暴言)育成され続けているからで、この点からも未だに虐待問題が正常に取組まれていない。 虐待問題に対する社会対応が、逆方向でなされている事に、大人たちが気付いていないから、余計にこの問題をこじらせている。 虐待を受けて育った児というのは、姿は子どもに見えていても普通の子どもではなく、ただ単に「虐待を受けて、可哀想だから助けてあげないと!」というような単純な事ではないことを、充分に認識理解して頂きたい。
―――虐待をしている親の側は、姿かたちは親のように見えるが、自分の責任を平気で子どもに押しつける程の親である。それによって一般の方が考え想像している以上に、「異常なほど責任感のある子ども」が出来あがってしまうのが、虐待児童の生まれている構図である。

【ACになりやすい3つの要素】
~一般の方が御覧頂くとすぐに判り「この子はACだな!と気付き見分けられるもの~

:優しすぎて素直な人
―――虐待を受けて育った子どもでも、とりわけ欲しいものがあり、その最も欲しいものとは「親の愛情」である。 「虐待と躾の区別」を履き違えて虐待している親が、子どもをトイレに監禁しても子どもはじっと我慢してしまう。 叩かれ食事さえ与えられないより、じっと我慢して親の言う事を聞いておけば、「よく我慢したね!」と親に褒められる。その言葉だけが嬉しくて、素直過ぎる程の状況を作ってしまうのだ。 一般の人からすると考えられないほどの非常識だが、虐待家庭では極ありふれた日常である。 子どもが欲する「親の愛情」の使い方を、当の親は熟知しているので、子どもはいくらでも親の言いなりになり服従し、親の洗脳は止めどなく過剰進行していく。

:親のことが大好きで無口な人
――― 子ども同士でケンカがあった時(叩かれた・いじめられた・暴言を吐かれた)   決して自分から、そのことを口に出して言わない子というのは、家庭で親から日々日常的に、それ以上のことを言われヤラレているから、“その程度のこと”は何とも思われなくなっている。 一般的には、他人から酷いことを言われたら腹が立つが、虐待を受けて育った子どもは、“腹が立つ”ということは全くなく、逆に言われた“自分の酷さ”を納得してしまうような「学習・学び」だと思ってしまう。 常日頃、「お前は悪い人間だ!」と親から散々言われているので、あらためて友達から悪く言われても「あッ!やっぱり自分は悪い人間なんだ」と“再確認の学習”をしてしまうということである。 だからケンカにさえならない。

:いわゆる「天然ボケ」傾向のある人
些細な事にとらわれず(反応せず)に他人の失敗を簡単に許せる。心のキャパシティが広く(大きい)自分なりの世界観を持っている。

【AC判別法による人の分類】
 AC判別法において、人の分類を「50%タイプの人・100%タイプの人・200%タイプの人」の三つに分けた。―――「一般の方を達成率100%の人」とすると、「達成率50%の部類に入る人」というのは、幼少期から何でも親から与えられ過ぎ、自分で責任を取らなくても生きてこられた人のことをいう。 単に親から甘やかされて育ってきた人のことで、必要以上に褒められ更には与えられ過ぎて、本人は逆に苦しい人なのである。
―――達成率200%にも及ぶタイプの人は、他人の責任までも自分が取ってしまう人のこと。

 この両者のタイプの人が、精神科・心療内科へ通院しているのが今の実態である。残念ながら図らずも「達成率50%タイプに入る人」が、精神科・心療内科医師となっている。そこへ通う「達成率200%タイプの患者」はAタイプ(苦しみの原因)に再び遭遇し、医師から更に病気にされているのが、今の日本の医療、精神科・心療内科の実情である。
―――何が原因なのか・・・、与えられ過ぎて来たのか(達成率50%タイプ)、自分という存在を認めてもらえなかったのか(200%タイプ)。 「達成率50%タイプの人(責任を自分で取らない人)」は、その場しのぎの嘘を平気で言うので、「達成率200%タイプの人」はこの「50%タイプの人に」出来るだけ避ければ苦しまずにすむ。 「達成率200%タイプの人」は、他人の責任まで取る人だから、身近に自分の存在を認めて上げられる友人知人を持ち、「あなたは凄いよ!」と褒めてくれる人が一人いれば満足である!。私の場合は、その役割を果たしてくれたのが当時小学校3年生の息子だった。

【京都から上京して】
 私と息子は20年前、シングルマザーの身として京都から上京したての頃、実家の母親から毎日のように電話がかかってきた内容が以下である。
母   「(京都弁でまくしたてて)ユキ!アンタな、今日アンタの事考えてたら、階段を踏み外して落ちてしもおたんや!ケガしたわ!!どおしてくれるんや!!!アンタ!謝りよし」
ユキ  「ほんま、お母ちゃん大変やったな!・・・ゴメンなァ、うち悪い子やなァ」
母   「そやで!アンタは昔からそうやったんや、アンタのこと考えるだけでも階段から落ちんやから、ろくなことないわ!!」
ユキ  「そお~かァ・・・ゴメンなァ、ほんまに悪かったわァ」
そこから話は私を産んだ時の難産(医師の誤診の結果)の話しにすり替わり、産んだ時の母の苦しさから、親を苦しめるために私が生まれてきたということが延々と話されて行き、その結果、兄との比較が始まる。

―――それまでの私は、母親から“お前は悪い娘や!と日常言われてきて謝り続けていた
が、上京し京都の実家から離れてみて、“何か違う”ことに気がつき始めていた。 この
ような電話が続いたある日、母親に対して口答えしたら“逆ギレ”され突然電話を切られ
たその直後、今度は父親から電話がかかってきた。

父   「(激高した口調で)ユキ!お前なあ!!、お母ちゃんに向かって何てこと言うてんのや!お前に酷いこと言われたっていうて泣いとるぞ!
     お前が知らんとこで、えェ着物買うてきてお前が着るようにて、箪笥に大事にしもてるんやゾ!」
ユキ  「そんなことゆうたって、そんな着物うちもおたことないシィ」
父   「いやァ、“お前にやるんや!”てゆうて、前からずーと言うとるゾ!こんだけ
     おまえのことばっかり考えとんのに、お前の態度は、なんや、この親不孝もんが!!(ブチッと切れる電話)」
―――この電話を切り終えたら、悲しくなり泣いていたところに、学校から帰ってきた息
子に、電話で言われたことを話したらゲラゲラ笑いだし、呆れた口調で言われた。
息子  「じゃあ僕が、学校でお母さんのこと考えてて、階段を踏み外して転んでケガし
たら、お母さんのせい!?じゃないでしょ!転んでケガした僕が悪かった訳でしょ!!」
ユキ  「そおなん?、お母さん悪ゥないん!?」
息子  「そうだよ! 何もお母さん悪いことしていないよ!!」
ユキ  「そおなんかァ!? 悪ゥないんかァ?!」
息子  「(呆れて)バッカじゃない・・・」
ユキ  「そっかァ?! ・・・悪ゥないんやァ!!」
―――と、まあこんな調子で、息子に説明されるまでは“おかしな話”で泣いていた意味さえ気付けない私だった。 達成率200%タイプの人は、このような点が見事に“ヌケて”しまっている。 社会に出て「この仕事をしなさい」と指示され仕事に打ち込むと、言われた以上の仕事をこなす人だが、一般的常識が全く欠如している面を持っている。
私は子どもの頃から“この母親に洗脳”されてきたので「三つ子の魂百まで」と言われる通り、自分の(私に無関係)身の上に何か出来事が起こった時、すべて私のせいにされてきたし、私自身も“自分が悪いからだ!”と思い込み決めつけて育った。 “この母親の洗脳”によって植え付けられた私の考えを、小学3年の息子は善きカウンセラーとして聴いてくれて、彼のアドバイスによって“自分の良い面を気付かせて貰い”私は救われた。

―――まず、自分がどちらのタイプの人間に当てはまるのかを見つけ出し、また身近で悩んでいる人を観察し、判断する材料の一つとしてこの“AC判別法”から学び実践に活かして頂きたい。 精神科・心療内科系の医師においては、「達成率50%タイプ」に入る医師が多く自分で責任を取らせてもらえず、“すべてを与えられ続け”逆に苦しんで育ってきている。 医療診断として病名を付けられてきたこの“両タイプ”の人は病気ではなく、それまでに育ってきた環境の“誤った思考行動パターンの悪い癖”がついたと考えられるので、“この癖を止めよう!”とカウンセリングの場で繰り返し言っている。
―――ホームレスの人が、初めからホームレスではなかったように、日常の良くない習慣の積み重ね結果が着る服もボロボロになったり、伸ばし放題の髪の毛や鼻をつまみたくなる体臭を臭わせることになっていく。いきなり今日からホームレス生活に入ったとすると、初めは強烈な違和感を持っていたものが、日が経つうちに臭いさえ気にならず慣れていくことと同じように“癖”の改善を、自分で気付かせるようにする事が大切だ。 それと現代社会が“忙しすぎる世の中”ということも問題である。年齢を問わず「やらなければならないこと」が多すぎるのでリラックスできる場所や時間を、自分自身でみつけて作り上げることが重要でもある。

「AC判別法」で唱えた、どちらのタイプに属するのかを自分で判れば、虐待の問題は解決の道をたどっていく。
―――「やはり“病は気から”であり“気が病む”と書いて病気になる “病身” “病肉”とは書かない」。
                          
【ディスカッション】~質疑応答~

三島医師 「家庭内暴力という視点からいうと、達成率50%の人と達成率200%の人は両方とも、家庭内暴力を引き起こすタイプだと思うのだが、岡田さんの見解はいかがか!?」
岡田   「与えられ過ぎて育った50%タイプの人は、むやみやたら家の中の物に当たり散らしたり壊したりするが、200%タイプの人の思考は、もし暴れて物を壊すようなことをして、使えなくなったらどうしようとか、そこまでの心配をし過ぎてしまうので、対物への破壊行動は起こさない」
三島医師 「―――となると、200%タイプの人は自傷(リストカットとか)に走り易い!?」
岡田   「例えると自殺願望がある人で、“私はこんなにも苦しんでいるから死んでやる”から私をみて!と思い込んでいる人は50%タイプの領域。 誰にも知られず富士山の樹海にでも行って、人の迷惑にならないように自殺しようとするタイプが200%の領域に入る。―――私の著書“みにくいアヒルの子どもたち”にも書き綴ったが、私は十代の頃に手首を切り自殺未遂をしたことがあった。 当時の家は狭かったため、気を使って血が飛び散らないように布団を敷いた。手首深めを切りつけ腕を上向きにして布団に入っていたら、そのまま寝入ってしまい朝目覚め気がついたら、切った痕は血が固まっていた。―――このように200%タイプの人は、自殺しようとする時にさえ周囲に気を使ってしまう。 私は当時、“布団を血で汚してしまうと母親に怒られる”とそこまで考えていた自分だった。 こういう200%タイプの人なので、家庭内暴力が起きる場合は全ての事に気を使いながら、やってしまうと思う。 自傷行為のリストカットにしても、その行為で“騒ぎたてる人が50%タイプ”、200%タイプの人は控え目に事を行う」

仮に、200%タイプの人がはじめて自分の本音がいえたり、他人に対する怒りが出せた時、周りは大変驚き、「統合失調症」と病名をつけられてしまうことが多々ある。
いつも服従してきた人が反発することは、支配している人からすると、とても都合の悪いことであるために、許さない意味でも、「精神が病んだ!」として病気にしてより拘束しようとしてしまう。

会場参加者からの質問
     「私の孫(高校3年男子)の件。―――“父親が僕に(息子であり高3の孫)に対して暴力を振う”と、去年5月私のところへ相談にきた。その時から家には戻らず学校の先生に相談した結果、養護施設に自分から入所を希望し、現在新宿区の養護施設に一人入所しているのだが・・・」
岡田   「仮に、相談に来られたお孫さんと、祖父母三人で同居されることは不可能ですか!?」
参加者  「(頷く)」
岡田   「そうですか! お孫さんに起こった出来事は良くない事ですが、暴力を振う父親から離れたというのは、結果としてはお互いにとって良かったと思います。父親が子どもに暴力を振っていた背景は、自分の子どもに対して甘えていたのですね」
参加者  「なるほどですね!―――実は孫が5歳の時、孫の両親は夫婦喧嘩をして母親が子どもをおいて家を出ていった。父親は育てていたが、それから一年も経たないうちに父親(私の息子)は別の女性と結婚し、子どもが生まれた。息子は(孫の父親)不規則時間帯の仕事に加え、不節制な食事とアルコールの飲み過ぎで糖尿病(現在透析中)の身となった。―――たまに私が家の中を清掃しに行っていたが、“うるさいから出ていけ!”などと言われていた。その後は要件があればメールかFAXで済ませていたが、送られてくるFAXには“死ね!悪女”とか書かれていた・・・。別に私は息子に世話になっている訳でもないからどうでもいいのだけれど、偶然新宿区の広報紙でこのフォーラムのことを知り、足を運んだところだった」
岡田   「御聞きしたこの件は、お母様が息子さんの家庭に関わる必要はないと思います! お孫さんは行政の養護施設で生活された方がよい事例です」
参加者  「息子は私に対して孫に会わせてと言ってくるが、施設側は本人(孫)の意思以外は認められないということで、息子との面談を拒否している状態だが・・・」
「孫は私にも会いたくないと言ってるらしく、会ってくれません」
岡田   「当然です! お孫さんもご自分で入所を希望された位ですから、その判断はつくはず。施設側の処置に従って下さい」
参加者  「(大きく頷いて)」
岡田   「Aさんは自分のとった行動が正しかったのか?ということを本日、確認されにきたのでしょうか?」
参加者  「はい」
岡田   「間違いないので、安心してください。後は、時が全てを解決してゆきます。私の場合もそうでしたから」
                                     (了)

2012年08月29日 00:00

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2012年9月の岡田ユキの出演スケジュール

1日(土)、2日(日)、4日(火)、5日(水)、6日(木)、8日(土)、9日(日)、11日(火)、13日(木)、14日(金)、16日(日)、17日(月)、18日(火)、21日(金)、25日(火)、26日(水)、28日(金)、29日(土)
出演時間:
1、20時30分~21時30分
2、22時00分~22時50分
3、23時30分~24時20分
詳しくはお店のホームページをご覧下さい
岡田ユキの音楽療法が体験出来ます。
http://www.aidakanko.com/ai1.html

2012年08月25日 00:00

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連日の報道のように、いじめ、虐待、自殺のニュースが後を絶ちません。

一人で苦しんでいる状況をまわりの人間が気づき、理解できなければ、決して止まりません。

実際には、多くの人は気付いているにもかかわらず、どのように接してよいのかわからないまま、
事態が深刻な方向に向かっているのではないでしょうか?

岡田ユキのような被虐体験者(生存者)は、連日の報道を見て心が痛むと同時に、どうして周りの人間が誰も手を差し伸べられなかったのかという、憤りを感じるといいます。

それは、自身の体験から切羽詰まった心の状況 が、手に取るようにわかり、一般の人にとっては非常に困難であるはずの解決法までが視野に入っているからです。

まだこれからでも助かる命はあるはずです。

そのために肝心なことは、皆様の第一歩の行動だと思います。

サークル・ダルメシアンは「虐待根絶マニュアル」岡田ユキ著を読まれることを強く推奨します。

現在家族や自分自身、問題の渦中にある人に限らず、各相談窓口や、専門に関わっておられる方、そして皆さんに体験を共有できる知識として、 是非この本を読んでいただいて役立てて頂きたいと、強く願います。

いじめ・虐待の問題をさらに掘り下げ、専門的な知識を持ち、専門のカウンセラーとして活動していただくために、「CAP専門カウンセラー養成講座」を現在開講しております。

これまでも、ご紹介させて頂いておりますが、こちらの講座は誰でも受講できるわけではありません。

その理由は、適性のない方がいじめや虐待の問題に下手に関わることによって、より深刻な結果を招く恐れがあるからです。

まずは「CAP専門カウンセラー養成講座」のホームページから適性検査を 受けて下さい。

こちらの検査は無料で受けられます。

事務局にてその適性を認められた方のみ受講案内のメールを差し上げております。

人命のかかっていることなので、何卒ご理解をお願いします。

詳細は「CAP専門カウンセラー養成講座」のホームページをご覧ください。

2012年08月10日 00:00

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2012年8月の岡田ユキの出演スケジュール

1日(水)、3日(金)、4日(土)、5日(日)、8日(水)、9日(木)、11日(土)、12日(日)、15日(水)、17日(金)、18日(土)、19日(日)、20日(月)、24日(金)、25日(土)、26日(日)、28日(火)、30日(木)、31日(金)
出演時間:
1、20時30分~21時30分
2、22時00分~22時50分
3、23時30分~24時20分
詳しくはお店のホームページをご覧下さい
岡田ユキの音楽療法が体験出来ます。
http://www.aidakanko.com/ai1.html

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岡田ユキのホームページ

虐待心理研究所

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