2013年02月27日 00:00

第22回いじめ・虐待防止フォーラムのご報告

【第22回いじめ虐待防止フォーラム】
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2013年(平成25)1月15日(火) 新宿区若松地域センターで、サークル・ダルメシアン主催(後援:新宿区)による“第22回いじめ虐待防止フォーラム”が開催された。
第一部は(独)国立国際医療研究センター国府台病院内科医長の三島修一医師による特別講演 標題:{『出会いに学ぶ』生き方~傾聴がもたらすもの・傾聴を妨げるものパートⅡ(実践編)}が語られた。
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 第一部:三島修一医師特別講演

「私は医者という職業に就いてはいるが、病院での診察時医師である前に“ひとりの人”として接することを常々心掛けている。 まず対話を尊重し人間理解を念頭に置き、出会った(診察)方々皆さんが元気になって帰って欲しいと思っている。 私自身も同様で“自分自身がこうなったらいいな”という「願う感覚」については誰もが非常に敏感だが、心の中の自分を否定するような要因(疎外因子)を、取り除くには何をどうすればよいのか、導き出せるような講義内容にしたいと思う。

【伝わっているのは心のエネルギー】
私に娘(長女)が生れて、彼女がようやく伝い歩きが出来始めた一歳前の出来事。 妻(母親)は、娘がこたつのテーブルの上に上がろうとする度「こたつに上がるのはダメ!」と叱り続けていた。 ある日、私と娘が二人きりになった時、こたつに上がろうとする娘に「危ない!」と一言叫んだ。この時私の感情は、娘に対して込めた愛情と、娘が痛い思いをするから危ないという思いで声をかけた。 この一言から娘は二度とこたつの上に上る行動をしなくなった。 それまで妻は娘の危ない行動に対し、危険だから制止させる為の説明を一歳前の娘にしていたと思う。当の本人にとっては母親が叫ぶ“この説明”を理解することが出来なかったと思われる。私が娘に対し危険な行動を制止させた一言の中には、勿論父親としての愛情もあったが、“心のエネルギー”を娘に伝える事が大事であった。
この“心のエネルギー”を伝えることにおいて非常に参考となるのが、「ナショナル・ジオ・グラフィックチャンネル」TVの“カリスマドッグトレーナー”という番組である。 番組内容は、飼い主の言うことを聞かない犬を、躾なおす過程を教えるもの。トレーナーの訓練治療方針は、犬より前に飼い主側の心の修正から導きだし、最初に教授される言葉は「穏やかな心で、かつ毅然として」が第一である。飼い主側がキリキリした感情で接すると、犬にもその感情が伝わり反発してしまう。トレーナーの指導にかかると、明らかに改善されていくのがよく解る。 機会があれば一見して頂くとよく、オススメである。

【驚くべき友人の体験から】~「肌で感じた医療者の発するエネルギー」~
私の友人の自宅が不幸にも火災に遭い、家族は既に避難していたのだが気が動転していた友人は、家族を救おうと火の中へ飛び込み、気道熱傷(肺のやけどで非常に危険な状態)の重傷を負った。
この彼がICU入院中の体験談である。
―――彼曰く、病室入口に看護師さんが立った時、人により「肌の感触」がいろいろに感じられた・・・ある人は「冷たさ」を感じ、ある人は「針が肌を指す」感じ、ある人は「温かさ」を感じた。 この時声は出ない状態であったが、冷たさを感じた看護師さんに抱いた感情は「冷たいその手で俺を触らないでくれ!」と思わせるほどのリアリティ(迫真性)があった。―――このことを彼から聞いた私は大きな衝撃を受けた。 人は身に起きた生命の危機に直面した時、人間本来が持つ感覚が鋭くなるようである。 皆さんはいかがですか!?・・・(会場に投げかけて)―――岡田「マッサージを受けた時、人により手の感覚が違うなと感じることありますね」。

気功を勉強した時に学んだことが、内気功と外気功というものがあることを知った。
内気功とは自分で行うもので副作用はないが、外気功は“人から受ける気のエネルギー”をいう。邪悪な気のエネルギーを受けてしまうと、精神に支障をきたす恐れがあり、それ程人が持つエネルギーというものは、多大な影響を与えてしまうことを私たちは知る必要がある。 こういったことを踏まえて、我々の身の周りに起きた問題を解決するためのツール(道具)で必要なものはというと、まず“理論の考察”(物事を明らかにする為によく調べ考えること)・方策(手立てや戦略)・アクションプログラム(行動計画)で、更には個人の内なる感情・意思・願い(エネルギー)・友情・絆・出会いの喜び・一緒体験。 これらは、決して無いよりあったほうがよいというものではなく、限界を突破する為にはどうしても必要なものである。―――女子サッカーチームの「なでしこジャパン」が宿敵アメリカを下したことも、選手同士ひとり一人の絆の深さがあったからこそ成し得た偉業であり、見ていてもそれを肌で感じられる程に解ったと思う。 「そうは言っても・・・だけど、・・・でも私はそんな聖人君子みたいなものにはなれないし・・・なりたいとも思わないし・・・人間だもの・・・」未熟な私たちが、どう自分の感情を本来化(ありのままの姿)していけばよいのでしょうか。それは“出会いに学ぶ”智慧が必要です。

【出会いに学ぶ】
これを大前提として、妨げるものは何があるのか。
私たち人は、相手への“願い・思いやり”を自分の中で意識化しやすい反面、過大評価もしやすいことを忘れてはならない。 「私は、あなたのことをこんなにも大切に思っているのに・・・」とか。 相手との交流を妨げている「自分の内にある“疎外因子”は通常意識化出来ない。(例えば家庭生活において、母親は自分の子どもの事を思って、一生懸命小言を言い続け、聞く側の子どもは聞けば聞く程、親の“上から目線の指摘”にやる気が起こらず、傷ついているようなこと)
目の前の方の不安・恐怖・孤独の声なき声をかき消すものは、「もういい加減にして!」というこちら側の被害者意識⇒「もう私には無理!」という諦め⇒「これは治らない病気!」という決めつけ⇒「私がやれるところまではやるけど、後はあなた次第!最終的には私には関係ない!!」と思う“そこはかとない相手との距離感”であり、私たちはこの限界を突き破りたい―――であるなら、私たち自身の内面に肉薄する必要がある。 私たちの内にある被害者意識・あきらめ・決めつけ、これらを止めることは通常困難で、「聴かないといけない」と判っちゃいるけど・・・どうにも聴けなくなる。 この自分の感情への取り組み⇒“逆転移”の取り組みが大切な入口となる。

【逆転移―――治療を妨げる医療者側の感情】
“逆転移”とは出会い(診察治療)を妨げるこちら側の感情のことで、医療現場ではネガティブ(否定的・消極的)な怒りの感情と恋愛感情もある。
『転移・逆転移』―――精神分析用語で“三つ子の魂百まで”と言われるように、生育時に獲得した(獲得せざるを得なかった)人間関係の有様が、治療としてのカウンセリング場面(良い悪いの問題ではなく、必ず出てくる感情)に必然的に出てくるもの。 この逆転移という専門用語をあえて使う理由は、出会いの際に必然的にもたらされる私たちの感情が、単に「個人的問題」ではなく関わりの中で、必然的にもたらされる大切なテーマであるということだからである。―――私もかつて診察面談時、攻撃的な言動を浴びせられると怒りが湧きあがっていたが、今では相手の様子を伺いみられる余裕を持て、楽な気持ちで聴く事が出来ている。

【逆転移の具体例】
無意識レベルの相手の(破壊的)関わりパターンに呑み込まれることで、交流分析にある有名な話がある。
子:パパ、僕バカだよ!。
父:お前はバカじゃないよ!お前はこんな事も出来る。
子:でも、○○も出来なかったし…、僕バカだよ!。
父:バカじゃないよ!こんな事もあったじゃないか!。
子:でも、やっぱり僕バカだよ!。
父:お前はバカじゃない!。
子:でも僕バカだよ!。
父:お前はバカじゃない!何度言ったら解るんだ!このバカ!!。

―――この“逆転移”という現象になぜ人は呑み込まれるのか、それは熱心さゆえに相手を変えようとすると呑み込まれてしまうのである。肉親であればある程、親しい関係であればなおさらである。以前の私もこの父親のようになるのを恐れ、呑み込まれないように壁を作り無理をしていた時、恩師から「最初は呑み込まれていいんだよ!」と言われ気が楽になり、徐々に自分のペースで診察面談出来るようになった。

【ペットボトルに入ったお茶っ葉のたとえ】
お茶の葉が沈んでいるペットボトルを自分自身として考え、そこへ外から衝撃が加わったと仮定する。 それまで綺麗だったペットボトルの中身は、衝撃によりお茶の葉が澱み濁った。これは私(ペットボトル)に衝撃を与えた“あなた”が、私の心を濁したと感じる。だが、はたから見ると「もともとお茶の葉があったから濁った」とうつる。―――お茶の葉が衝撃により浮き上がった時(=怒りの感情が湧き上がった時)は、お茶の葉を掴み取り出す(浄化)ことが出来る絶好のチャンスである。 私たちの感情もこの濁る原因となるお茶の葉を掴み取ることを繰り返していくと、同じ衝撃を受けたとしても徐々に濁らなくなる。 次第に「出会いへの具体的な感謝」が自然と湧き起こってくる。 この出会いがあったからこそ、自分の内なる“疎外因子”を発見・実感でき、本来化された自分へと導かれる。

【嫌な「出会いにも意味があるのか】
お互い未熟な人間同士が、ままならないこの世界にあって、どうしたら最も人間らしく生きることができるのでしょう。“Which do you prefer?”(あなたはどちらを選びますか)」―――「出会い」を排除のポリシー(方針)でいくのか(自分に都合の悪い嫌なことは切ってしまうか)、「出会い」を理解し関わり続けるポリシーでいくのか・・・どちらでいきますか!?。
人生最後の時に、どちらの生き方が幸せ(心の安らぎ)をもたらすのか。「出会い」の中には、理解し関わり合いを持つことにより、新たな発見やそれまで経験したことのなかった違った世界を、体験出来たりすることもあります。 人生において乗り越えられるべきこの誤謬(ごびゅう:誤りや間違い)、嫌だなと思う出会いに遭遇した時、積極的な人は①早く結論を出そうとして、相手を説得もしくは変えようとしてしまう。 内向的な人は②「私とあなたは別々バラバラで何の関係もない。私は私、あなたはあなた」というように縁を切っていく。 このような内向的な人は、出会っているというだけで既に相手に影響を与えているので、自分が変われば相手は変わる可能性が出てくる。

【私が医師となった駆け出しの頃の話し】
当時診察した患者の一人に、他院で「心身症と難治性気管支喘息」と診断された方を診ることになった。 被害者意識が非常に強く、都内の病院でも医療スタッフとすぐにケンカするといったことを繰り返し、病院を転々とされた末の来院だった。 現在私が勤務する病院において、この当時の心療内科は開設されたばかりで、私ひとりの医師しか在席しておらず、この患者にかかった診察時間は毎回3時間で、繰り返し過去の病院対応の悪さを浴びせられていた。 三か月間繰り返される同じ内容の話を、聞き役に徹した末私は、この患者に「被害者意識の方向ではなく、このような見方・考え方があるよ!」と本人の意識を引っ張ったところ、喘息発作の憎悪という結果を招いてしまった。―――これによりカンファレンス(院内会議)がもたれ、当時の院長であった吾郷晋浩医師に「三島君はまだ聴いていないね!この方は聴けば必ず良くなる方だよ」と優しくも説得力ある一言を言われた。
私は“聴けば良くなる方で、良くなっていないということは、まだ私が聴いていないということなんだろう”と素直に受け入れてみた。―――それまでの“傾聴”の実績を横に置き改めて聴き始めたところ、この患者からこれまで三か月間の主治医である私の“不適切な対応”について事細かに語ってくれた。その時私の不適切と感じさせたことについては率直に謝罪した。 患者から「どうしてあの時は解ってくれなかったの!」といわば完璧を求められた時、優しく「NO!」と言い「私も未熟だった為で・・・、ただあなたに良くなって頂きたい!その一心で対応してきた」と、私自身の願いをはっきりと表明した。 治療を振り返ってみてこの“謝罪と願い”の2点を伝えたことが大きかったと思う。
―――その後、一か月で喘息発作はみるみる改善され(点滴回数も日増しに減少)、同時に診察面談も3時間だったものが徐々に少なくなっていき、「あれ!?、もう話すことないわ…」と思うほどになり、「一体これまでの三か月間の診察面談は何だったのだろう」と自分を振り返らずを得なかった。

【医者という目線と人としての目線】
それまでの診察面談は、医療者(私)が上で患者は下という前提があり、「聴いてあげる」診察面談であった。 “これだけ聴いてあげたのだから、今度はあなたが変わりなさい!”というギブアンドテイクの診察面談で、癒されないものであった。
―――「私が患者であったら、こんなことは私も嫌である」 “傾聴”に関する決定的ポイントをこの患者から教わり私の傾聴の師匠となった。 今でも外来でお会いする度、お互い遠くからでも人目を気にせず手を振り挨拶する仲で、この方と出会わなかったら今の私はない。―――「あなたの目の高さは?」どこにありますか・・・高慢になりやすい私の受戒は“目線はもっと低く・もっと透明に”を常々心掛けている。 この目の高さを相手と同じか低くすると“傾聴”で疲れにくくなった。聴いていて多少疲れを感じている時は、自分自身に“こだわり”が残っていると思う。“○○である前に一人の人間・医療者は患者よりも上”という先入観から自由になることの必要性を忘れてはならない。誰もが発展途上人で未熟さがあることを認めつつ、しかし医療者としてのヴィジョン(未来像)は抱き続ける意思の尊さが、医療者としての最大の強みである。これは医療者のみならず日常生活においても同様で、弱者の立場となった時、目の前の方がどのようにみているかが、肌で感じられるようにわかるもの。

【問題解決につながる“傾聴”とは】
まず、是が非でも問題を解決したい!しなくてはいけない!という切実な願いが前提として動機があること。 発生した問題の現われだけでなく、その背景にある「感情」を聴くこと。問題を引き起こすエネルギーの流れ、エネルギーロス、エネルギーの奪い合い、エネルギーの悪循環などをつかめるように聴くこと。 感情の奥底にお一人おひとりの魂の願いがあることを見抜き、それらを更に深く感じたく聴くこと。 「どんなに表面が荒れたものであろうと、自分は自分らしく皆と一緒に活き活きと生きたい!」という願いは皆さんもたれていると思う。―――例えば、リストカットしたとしても、過量服薬したとしても「イキイキ生きたい!
と願っているから逆のことをしてしまう。 過量服薬した時も“通り一遍にダメ!”と言っても逆効果である。 「…本当はそんな事したくないよね!」と寄り添う気持ちを投げかけた上で、「やはりそれは止めよう!」と気付かせることが重要なポイント。

ある母親が家に引き籠ったままの息子に対して、不安や不満を抱えていたとする。 母親はそんな状態の息子の姿をみて「試練」だと感ずる。 だが母親の立場からすると、本当に自分が守りたい一つのものを深めていくと、「息子は息子らしく自立して、イキイキと生きて欲しい!」と思う事は、親として本来の願いであろう。 ただし、引き籠る息子を母親として自分の試練だと感じていない母親だとすれば、息子に対して愛情を抱いていないものだ。 試練のあるところには、必ずその人が持つ願いというものが存在する。

【「感情」が持つ決定的影響力】
私たちの内界(心)と外界(現実・患者)とはつながっている(one unit)。 「私が変わります」という必然と必要性は、○○という立場だからそうしなければならない!というのではなく、道徳的にもそうしなければならない!というものでもない。 目の前の出来事の少なくとも半分は、自分自身の影響だとしたら、自分自身の成長のためにも、そしてその結果良い方向へ向かうなら、それは本当に嬉しくワクワクすることだ。 「私が変わります」という感覚は、例えばA~Bへ変わるというものではなく、本当の自分へ深まって戻っていくという感覚だろうと思う。「・・・そうだ!自分はこれをしたかったんだ!」と自分回帰・再発見の感覚であって、これを体感すると本来の自分なので疲れにくくなる。

もし、私がAさんに全く愛情をもっていなかったら、単に気にもかけず「フン」で済む。または、「屈辱感」でAさんに対して「フン」で済まずに怒っている場合は、「本当のAさんは、悪口を言うような人じゃない!」と思う。 これは、相手に対する真心としての怒り、「純粋な怒り」が確かにあるということで、「愛の反対は無関心」といわれる所以である。

マルクス・アウレリウスの「自省録」
第4巻18から

『隣人が何をいい、なにをおこない、なにを考えているかを
覗き見ず、自分自身のなすことのみに注目し、それが正しく
敬虔であるように慮る者は、なんと多くの余暇を得ることで
あろう。(他人の腹黒さに眼を注ぐのは善き人にふさわしい
ことではない。)目標に向かってまっしぐらに走り、わき見
するな。』
岩波文庫 神谷恵美子訳より

―――ローマ皇帝であったが、病弱な哲学者だったマルクス・アウレリウス。 2000年前の人が、現代人である私たちにエールを贈っているような珠玉の言葉だと思う。

【宮沢賢治の「雨ニモマケズ」】
この詩は、彼が亡くなる2年前に作られた作品で、結核の症状が悪化して死を覚悟した時、彼の中からあふれ出た心の叫びであったろうと思われる。 これは現代版の“祈り”で「そういうものに私はなりたい」と切に思い願うことは、愚かさと共にしかし同時に天に向かっての心のベクトルである。 この「祈り」とは目を瞑ることではなく、現実の厳しさ・自分の愚かさ(内界と外界)に眼を開きつつ、天に托身することである。―――願をかけて拝むといった行為は、御利益を得たいとする欲求の願望であって、この「祈り」の場合同一ではない。本来「祈り」とは、未熟な人間・私たちが不条理・不合理なこの世を“最も人間的”に生きる為に必要なプロセス(手順・過程)である。 「祈り」は決して空虚なものではなくエネルギーであり、人本来の姿・表情を「想う・念じる・ありありとイメージする
出会いがもたらすものである。

【内界探訪  ~自らの願いの発見に向かうには~】
1 出会いに生じる様々な感情を、正直に意識化する必要がある。
2 その感情を「本来化(本心に還る)」必要がある。
―――自分自身の感情がどのような感情なのか自分で掴みきっていない時、感情がイライラしてしまう。 その時に“止めて観る”必要があり、これを行うことを“止観”という。

《止観》の効用…止めて観るまでは解らなかった…
―――止観してみると「気持ちが落ち込んでいるようで、実は怒っていた⇒怒っているようで、実は寂しかった」―――止観してみると、何か出来事が起こった時、内界(内面)に意識を向ける習慣がつく⇒“私変わります”の大切な一歩である。 私は、この止観する為に参考として実践しているのが、『高橋佳子著 三宝出版「あなたが生れてきた理由」』にある“止観シート”の活用。これは人の内面に起こった瞬間の、自分の心の動きを観る手法である(カメラでシャッターを切る瞬間的感覚)。

1 出来事  …日頃口うるさい夫が、玄関のドアを開けた時の「カチャッ」という音
2 感じ   …その音を居間のソファーに座る妻が、聞いた瞬間の感情
3 受けとめ …「嫌!・ エッ!・ またか!
4 というような一言の感情
5 考え   …それに対する心の動き
6 行為   …自分自身の行動・仕草・動作
―――これらの感情をその時々に“心に止めて観る”訓練を繰り返し行うと、この瞬間自分の心の動きを掴んだら、出来事で出てきた呟きを拾い書きだしてみる。 人により多少の時間差はあるが、それまで掴めなかった自分自身の感情に、“ちょっと待てよ!”とブレーキをかけることが出来るようになる。
かつて診た患者で、極めて強い被害者意識を持ち、1型糖尿病に加え摂食障害を負った方と出会った。 その時“止観シート”を実践していったところ、最初はその方の話を聴くことしかできなかったが、次第に患者自身が自分の内面をみつめる必然性を感じられるようになっていき、同時進行で医療者の私と患者との診察面談が深まっていく体験をした。 この方と出会わなかったら今の私はなかった。 医療者側の私も止観シートの取り組みを行いながら、この患者との診察面談中新たに感じるものが発見でき、次回の面談にその発見を活かすと、患者側も相乗効果となり回復速度が増した。 この止観シートの活用以後、このようなことは1度や2度の体験ではなくなっていった。 ―――スイスの心理学者で精神科医のユングが挟持性(そばから力を添えて助け支えること)を唱えていることに似た心境現象だったと思う。 “私変わります”によって現実が変わった最初の体験であった。

【被害者意識・自己憐憫(じこれんびん=あわれむこと)との対峙・浄化】
かつて内科だけだった病院に、心療内科という新たな診療分野が加わった頃、心療内科に来る患者は医療者側からすると、我儘ではないのだが我儘な患者のように思え、手が掛る患者としてみられていた。 当時の看護師もそのストレスを受け、主治医である私にその“はけ口”を浴びせてくることが繰り返されていた。 止観シートを試みていた私は、一か月程経過した時同じ様な状況に、看護師がまくし立てるように言い寄り、自分の中で被害者意識が湧きおこってきたのが客観的に解り、心にストップがかかった。―――その時、怯えた看護師の表情がはっきりと見え、「この怯えた表情にさせてしまっていたのは、当の私だった」というのが瞬間的に納得した出来事だった。 病棟内のピリピリした雰囲気を作り出していた大本は自分が作り出していたことに気付いた。 このことがきっかけで「ごめんなさい!ありがとう」という素直な言葉が言えるようになり、針のむしろと感じていた病棟から、働き易い職場へと変わっていった。
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第二部

サークル・ダルメシアン代表 岡田ユキによる講演
~岡田式AC判別法~ *AC(アダルトチルドレン)とは、子どもの頃から子どもらしい振る舞いが出来ず、常に大人の対応を強いられていた子どものことをいう。

【親から受けていた過度な抑圧(私の生い立ち)】
私は幼少期、親から過度なコンプレックス(心の中で抑圧され、意識されぬまま強い感情を担い病的行動の原因)を与えられていた。 母親からは「お前はダメな人間!悪魔の子だ!」と言われ続けて育った。 私が生れる時の母親は難産で、母胎検診時医師から“逆児”の診断をされ、逆児矯正体操を繰り返していたが、後日再検診で誤診だったことが判明し、この時の体操が原因で“横児”となり父親は医師に呼ばれ、「母子どちらかの生命が絶たれる恐れがあるので、覚悟しておくように」と伝えられたが結局一晩掛りの難産の末、両親念願の女児の私が生れたのだった。
普通の家庭家族であれば、待望の可愛い女の子が産まれたら大切にして育てるのだろうが、両親の場合二人とも“大人になりきれぬまま”子が生まれ親となってしまった為に、難産の苦労を課せられた上、“夜泣きでぐずる厄介な子育てを強いられたこの子が悪い”と思い始めた。 私が物心ついた頃の両親は、言葉の暴力と実際の暴力を娘の私に繰り返す毎日で、生れたこと自体を全否定され、人格なんてないというような家庭で育った。 こういう状況だったため、周囲に対して気を遣いすぎる子に成長していった私も、“AC”と言われる人である。
このACの人を世間では、悪いイメージとして受け止められている。 自分で言うのも変ではあるがACの人というのは実は素晴らしい人である。 これは私自身が、自分の思考行動パターンを解った時「なんて私は素晴らしい人間なんだろう!天使みたいな心の持ち主なんだ」と気付き、サークル・ダルメシアンという会を立ち上げて、世の中にいる天使たちを集めたいと思った。

【ACの見分け方3つのポイント】
例えば“ACになれる人となれない人”がいる。 これと同様にいじめる子といじめられない子との見分け方・虐待の見分け方には、3つの共通したポイントがある。 その分類は
1 優しすぎる子
―――「優しさを通り越して“過ぎる”子は、その優しさに託けて悪い意味で利用しようと、つけあがる子がでてくる。

2 親の事が大好きで無口な子
―――「親との会話が幼少期にできず、上から目線の押しつけによるペット状態で扱われていたことにより、親の言う事を聞かなかったら叩かれる、あるいは言う事を聞くまで虐待暴力を受けて育つ。 自分の主張をしようものなら「その物の言い方はなんだ!そういう言い方では通じない!お前は何が言いたいんだ」と親が拒絶させてしまい無口な子になってしまった。

これは“親の自己中心的勝手な押しつけ”で躾ようとしているためであり、子から口答
えされることが怖いという裏返しの心境による。 “いじめている人というのは、いじめられている人がどれ程辛いのかを解ってやっており、いじめは意識して知っていてやる構図”である。―――いじめる側の人は、いじめられた人が思い通りに潰れてくれればよいのであって、泣いてくれればよいし、落ち込めば本望と考えるものである。逆に何の反応も無くめげない人であれば、更にいじめはエスカレートしていくのがいじめる側の心理だ。―――子は親に好かれたい一心で大好きな親に接するが、親からすると“出来る子”をみてしまうものだから悔しいと思い、だから親は子をいじめたくなる心理が働いてしまうのである。 親は自分自身が、よくないことをしていることは解っているので、子が反発口答えすることを頭ごなしに押さえつけることにより、無口な子になってしまうということ。
―――このような子は家庭の外に出ても、自分の親からやられていることは一切口にはしない。 これは親の事が大好きだからという“子の本能”で、大抵の人はある程度大人にならなければ、自分が親にいじめられていたという事実を、認識できないままでいる。

3 天然ボケの人
―――私もそうなんですが、一言で言うと“器の大きい人”のこと。 具体例でいうと、ある日、友人が怒る場面にいて「なぜそんなに怒るのか!?」聞くと「電車に乗り込む時肩がぶつかった!とか、自分より先にエレベーターに乗り込んだ!」とかいった些細なことで怒っていたことが解った。 この友人に対して私の場合は、人に酷い事をされても2・3日経過してからようやく気付くほどの感覚だった。―――この出来事がきっかけで“自分はどうしてすぐに腹が立つような感情が出てこないのだろう!?”か考えたところ、“自分の器が大きいのと、優しすぎる”ことに気付いた。 幼少期親からそれ以上の酷い事をされ続けていたので、友人がうけたような“その程度”のことでは、怒りの感情は湧き起こってこないことが理解でき納得した。

*以上の3つの要素を踏まえ観ると“虐待を受けて育った子だな!”ということが見極められる。大人の場合も同様で、この3つを重要視しながら観察してみると、幼少期に受けていた「虐待の道のり
がみえてくる。

【2パターンある虐待の形】
1 言葉的暴力・肉体的暴力・性的虐待・ネグレクト(育児放棄)
―――かつて虐待の問題を、行政に投げかけた件があった。
私が虐待を受けた時の原因は誰だったのか!?『虐待死をまぬがれて』という小冊子を、10年前行政向けに配布した頃の時代背景は、“大阪教育大学付属池田小学校無差別児童殺傷事件”があった。―――この時の殺人犯宅間守という人間は、児童を殺したという悪い人間ではあるのだが、彼自身幼少期から虐待を受けてきた可能性があると今でも思っている。親に対して行いたかったことを出来ずに、悲しくも弱い立場の子どもたちに向けてしまったのではないのか…と。 行政に働きかけて“虐待死をまぬがれて”を無料配布するに至った。 この時、行政担当者と話す中で「世の中に100%の人間はいない」と言われたことに衝撃を受けた。 それは、私の幼少期母親から常に100%を求められ続けて、出来ないといじめ虐待を受けていたからだった。

私には、5歳上と7歳上の勉強だけはできる兄がいる。
小さい時から両親にこの二人の兄と比較され、「どうしてあんたは出来ないの!?二人の兄はできるのに」と言われ、子どもの私は頑張り続けるしかなかった。
―――例えば、ボクシングの亀田(兄)がチャンピオンになった時、戦いに勝ったらベルトは1個だが、彼は父親の分もチャンピオンベルトを受けたことがあった。 彼も小さい頃からボクシングに情熱を注ぐ父親に育てられた。 彼が、この父親に育てられてきた過程ではおそらく、「自分(父親)は社会で負け続けてきて、周りには悪い奴ばかりだった。だからお前(亀田兄)はボクシングで強くなり、チャンピオンになってそいつらを見返してやるんだ!お前がその仇をとるんだ!仇をとらないと俺の子じゃないぞ!」と言われた位のことを、父親から洗脳され続けて育ってきたはず。 子にしてみれば「チャンピオンになれたのは、陰で支えてくれた親父のお陰だから、父親にもベルトをあげたい!」と親を想う気持ちだったと思う。―――彼(兄)の弟が内藤選手と対戦した時“足蹴り”をしたということで、大きく報道された一件があったが、この時父親は一切メディアに登場することはなく、兄が表に出てきて謝罪会見をしていたことも、子が親の責任までとっている例だ。 彼(兄)も幼少期に親から100%の要求を課せられ、更に100%を自分で背負い、200%の力を発揮せざるを得ない育ち方をしてきた“虐待の構図AC”である。

2 過保護による虐待
―――もう一つの虐待といわれるものは“親の過保護”によるもの。
親から過保護一辺倒に育てられ、幼少期から「あなたは出来る子!」と過剰に言われ続け育ち、本人もその気で社会に出てしまうと、他人から何か指摘されるようなことを言われただけで、怒りの感情スイッチが入り“キレル・怒り・腹が立つ”といったようなことになる人のことである。 このように育った人は、「自分で責任をとりたい!」と思っていても過保護過ぎる親が責任をとってしまうので、自分の意思を貫き通せず不満が鬱積した状態で成長してしまう。 親が与えるものは環境・お金・愛情まで、しまいには友達までも親が与えてしまうので、自分で友達を作ることすらできないで、引きこもり状態となっている。
一般的に言って普通の人を100%の達成目標とした時、過保護で育った人を50%の達成率で大人に成長した人、虐待を受けて育った人を200%の達成率で大人になった人と、岡田式AC判別法では分類している。 現代社会における虐待の社会構造は、50%タイプの人と200%タイプの人、この両タイプの人で構成されているのが現実の問題である。
200%タイプの人の現状というものは、ほとんどの人が知らないでいる。医師や臨床心理士は50%タイプに入る人が多い。 この50%タイプの人が、日常医療現場やカウンセリング診断治療を行うことにおいて、200%タイプの人が経験してきた状態を理解出来ていない為、“50%タイプの過保護成長による上から目線”の対応しかできていないということが、現在の大きな社会問題の現況である。―――今回も出席下さっている医師の三島先生は、この200%タイプの人の傾向を理解し受け入れておられるので、私からの意見を投げかけても、両タイプの人を診られる目線で接して下さるし、病院の患者診察時でも「どっちのタイプかな!?」と活かす治療を実践されている。

三島先生が講演の中で言われた「“自分の怒りを観る目を止観させる”」重要性を私たちに教えて頂いた。―――200%タイプの人は、これとは逆で“怒り”という感情を出す自分であらねばならない。 “怒り”を出さず感情を押し殺し閉じ込めた状態や、張りつめたまま限界を超えたような感情だと、自分の親を殺したりまったく関係のない人に危害を加えたりしてしまう。 これは、子どもの頃から自分が我慢することを極度に強いられていたことと、過剰過ぎた努力を長期間に渡り続けてきた為、自分というものを安らげてあげることができなかった結果の現われなのである。
―――では、何をどのようにすればよいのか。
自分の人格を全否定されて育った人は、自分の思っていること(感情も含め)を、素直にストレートに相手へ伝えることがまず第一。 “気を使い過ぎている自分・優しすぎる自分”を、自分の中で理解してあげることが大事である。 そうでないと、周囲の誰かが(悪い意味で)利用してやろう!と企て、付け込んでくる人が必ず現れ、ますます自分自身が苦しくなる。―――50%タイプの親に対して、200%タイプの子どもが出来て上下関係を作り、“いじめの構図”が出来てしまう。 これは友人関係や夫婦関係においても同様な状況をうむ。この場合の上下関係の縁は切ることができるが、切れない関係が職場での上司と部下といった状況で、苦しい立場が続き悩んでしまう。 200%タイプの人がなかなかこの状況から抜け出せない最大の理由は、“子どもの頃からいじめられている事に慣れてしまっている”からである―――私の場合もそうであったように。

私の父親は、京都の西陣織の職人として家で働き、母親はその仕事を支える夫婦だった。上二人の兄が育った境遇は、仕事をしていた両親に代わり母親の従妹が家事・育児全般を任されていた。 二度の流産を乗り越え待望の娘、私が産まれた時にはこの従妹はおらず、両親の初めて行う育児が始まったが、子育てが苦痛に変わりやがて憎しみにへと発展、虐待を招く結果となった。 私は0歳からこの状況で育ち、3歳くらいになっても人格の全否定で育てられた。 自分がいじめられている状況を認識出来る訳もなく、これが当たり前と考えるのは当然。 他の家庭の親も、子どもに対してこういうことをしていると思っていた。―――幼少期を過ぎ自我に目覚め始め、友人が出来自分の家庭で体験してきた事を話し出すと、明らかに他人とは違う現実を知った。それまで自分が受けて来た親からの虐待は、間違いではないのか!?という疑問を徐々に感じ始める。 周囲の状況と違う自分との溝は感じてはいるのだが、それが何なのか!?“合わない理由”が自分で理解できぬまま、一生懸命頑張り過ぎる自分だけがいた。―――周囲の人(大人)が「親に叩かれるとか、アホ!とか言われるのは、あなた自身が悪い事したからじゃないの!?ご両親はあなたのことを思って接しているはずよ。子どもを憎いなんて思うことはない!」と繰り返し言われていた事実。 よって“より良い子”を演じなければいけない状況に、追い込まれてしまう悲しい現実。 これが世の中へ出た時“より良い子”の部分が、いじめられる原因を作り出ししまっている。 虐待を受けて育っているが、かつて親がしていたような行為を友人や上下関係に求めてしまう自分がいて“酷い事”を言ってくれる人に頼るような構図を自らが作り出している。

会場からの質問
「私の母親は東北の出身で、祖父は漁師。 酒を呑むと卓袱台をひっくり返して暴れるような祖父だった。 この祖父の娘である私の母は、祖父が自分(私の母親)に対してやったようなことを、私にも繰り返していたのだが、このことについてどのように思うか」
―――岡田「これが“虐待の連鎖”という典型的な例ですね。」

【親になる為の教育】
私たちは、親になる為の教育を受けたのだろうか!?。子を産んだらどのように育てたらよいにか、学校では習っていない。 その部分は避けてセックスの問題であったり、男女を別々に分けて性教育について授業されている。 例えば子が産まれ親となった夫婦が生れて来た子に対して、どういう言葉かけをしたらよいのかとか、どのように子育てをすればよいのかといった教育は一切なされていない。 そうすると、子育てを行うお手本的教材というのは自分の親以外にはないので、親から受けた教育をそっくりそのまま受け継ぎ子育ては行われる―――私もそうであったように。
かつて私も息子を叩いたりしていた時期があった。 その時自分の中に“オカシイナ!?”と思いつつも、私は親から“それ”を身をもって体験し教わっていたので、そのまま息子に対して同じことをしていた自分がいた。 言うことを聞かない時には蹴ったことさえあった。 自分の気持ちが治まらない状態で、息子をほったらかしにしていたが、彼を傷つけてしまったことは解っていたので、息子には「なぜ怒ったのか
その理由・原因を時間がたってから説明し、納得してもらい息子も解ってくれた。このようなことを私と息子の間で繰り返していくうち、私が親から受けた“虐待の躾”を断ち切ることができた。この虐待の連鎖から解き放たれた時、「私の親は、この解決の仕方を知らなかったのではないだろうか!?」と思い、母親にこの状況を教え話したところ、母親は解っていた上でやっていたことを知り、ここで初めて自分の親への怒りが出て“親を殺したい!”ほどの怒り憎しみが沸いてきた。―――皆、結婚したら妻になれて夫になり、子を産んだら親になれると思い込んでいるが、実際のところそうではない。
その昔、日本では“氣學”という学問があり、そこでは、男性の場合は生涯男の子であり、女性の場合は女の子が妻へと変わり、母へ変わっていくといわれていた。―――「男女七歳にして席を同ぜず
という諺がある。 なぜ七歳にして男女が同じように学ばないのかというと、昔の女性は十二歳くらいで結婚、嫁いで子を産むことが多かったことにより、女として妻として母になる教育を、人としての心構えで植え付けることが行われていた。この“人になる教え”を行っていたのが母親であったり、祖母や地域の方々であった。
ところが現代において地域コミュニティー自体が崩壊しつつある中で、核家族の影響もあり夫婦二人だけの狭い視野で行わざるを得ない状況だ。 成長しきれず育った男女に子が産まれ、成長出来ず親になった男女は、結果的に子を育て教えることが出来ず人を作ってしまう連鎖を生む。
母性を引き出してくれる人が、周囲にいないという現実。このような状況を理解出来ている医師がいないのが、現代の医療界。 内面が成長していない医師が、果して患者を診る事ができるのだろうか!?成長できず育ったままの診察で医療が行われている・・・。
200%タイプで育った人は、親の勝手な都合だけで全否定されて育っているので、疑問に思っている部分を解決させることが第一なのである。 カウンセリングや心理学業界では、“答えを出してはいけない!”と言われており、“患者の話を聞いてあげるだけ”の上から目線、しかも一方通行な誤った法則がある。

ホームレスの人が、いきなり今日からホームレスになる訳ではないように、日々の積み重ねによりホームレスになっていると思う。 これは“慣れ”による結果だと言いたい。
200%タイプの人も、極度な我慢を積み重ねた結果“怒りの感情”が蓋をされ、50%タイプの人は、我慢しないことを積み重ねた結果“怒りの感情”が四六時中出てしまう。
―――三島先生が言われた“止観”ということを、200%タイプの人に当てはめた場合、幼少期から止観し続けていたので、怒りを抑え自分を見つめる事だけを強いられてきた。 これは、大好きな親からいじめられないようにするには、どうしたらよいのかを常に考え行動していた為による。 200%タイプになってしまった原因は誰にあって、どこが悪かったのかを求め突き詰めることをして、自分が悪いのではなく親に原因があったことを明確な答えとして導きださなければ、このタイプの人が抱える“自分自身の疑問符”を取り除くことはできない。―――「あなたは決して悪くない!」という、その答えが最も重要なのである。

* 現在、精神科系患者の診療診察段階において、200%タイプの人の埋めるべき空白部分(インナーチャイルド)のことを、50%タイプの人の空白部分と履き違えて対応して、誤ったやり方が主流となっているので、これは早急に改善されなければならないことである。これらは、“虐待根絶マニュアル”に掲載してあるので是非ご覧いただき、自分自身のマニュアルと思ってみると思考行動パターンが解ると思う。 個人的に御相談あれば直接連絡頂いても構わないし、メールでも結構です。
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三島修一医師より
「岡田さんのこの発想は、よく解ると思う。 50%タイプの“うつ状態”の人と、200%タイプの人の“うつ状態”とでは、まったく違う。 昔あった超真面目といわれる人のような“うつ”というのは、現代では非常に少ない。これは抗うつ剤が効くような“うつの症状”の人が少ないということ。 まだ学会で未認定ではあるが“否定型うつ病”といわれるような変な表現で言われている。 単に我儘というくらいの“うつ病(50%タイプ)”が横行し出し・・・かなり多く存在する。
(了)

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